2020年5月7日木曜日

「新型コロナから見える真実」ーインフルエンザの治療はいい加減だからよかった 


僕は、ほぼ一貫して、現在の毎年のインフルエンザに対してパニックにならないのに、今度の新型コロナに対してパニックになっていることへの疑問を抱きながら、本ブログで5編と「日出づる国考M」で4編の新型コロナ関連の記事を書きました。それを要約しますと、簡易の検査キットがなく、タミフルなどの治療薬がなかった時代でも、インフルエンザ渦の最中でも今のようなパニックにはなっていませんでした。

3月8日の前号で述べましたように、日本では1999年(平成11年)に現在用いられているインフルエンザの簡易診断キットが利用されるようになりました。また、現在までに内服薬の主役のタミフルは2001年(平成13年)に日本で保険適応になっており、現在では5種類(実質は4種類)の保険適用薬剤が揃っています。僕は、1991年から2016年までの26年間を有床診療所で活動していて、診断キットも、内服用のタミフルカプセルも、診療活動の後半から扱った経験がありますが、その前半にはそういう手段はありませんでした。しかし、普通に診療行為をしていました。
 僕は後進に診療所を譲り、開業医から引退していたのですが、高齢者専用施設への協力の求めに応じて、この2020年4月に小さい無床診療所を開設しました。この慣れない開設手続きに労力をとられて、この期間のブログ発信に気持ちが向きませんでした。この間に東京五輪も延期になり、政府による生活規制の要望が発信されて産業や経済に大きい変化が出るようになりました。

 なお、意見や自説を発信する多くのユーチューバーがそうしておられるように、この辺で自分のプロフィールを開示して持論のバックグラウンドを示させてもらうことにしました。大学院時代を中心に、最初は基礎免疫学(特に、サイクロフォスファミドの細胞性免疫増強作用とそれに関わるサプレッサーT細胞の意義についての仕事で、英国のネイチャー誌と米国の実験医学雑誌に計4編の論文その他を発表しました)を足掛け7年ほどしていましたが、途中で呼吸器外科の臨床が中心になり、約10年間は呼吸器外科医と臨床研究を行っていました。この時代には数冊の書物の分担執筆を担当しましたが、その中にはヘルス出版「外科学」の教科書があります。その後大学を去り、診療所を開設しました。診療所では前半は開胸術も行っていましたが、後半は循環器内科・呼吸器内科を中心に活動しました。 
 
僕も、3年前までの26年間を有床診療所の開業医(世にいう「実地医家」)として「なんでも屋」で診療の機会をいただいてきました。正直なところ、インフルエンザへの対応は、周囲の開業医と歩調を合わせていただけで、特に文献を探して「何が一番良い対応であるか」ということを考えたことはありません。ただ、タミフルという治療薬は当初からその効能よりも副作用(未成年者に多い突然の異常行動)のリスクが語られ、これらについては複数の文献を当たって自分なりの判断をするようにしていました。
 今回、新型コロナの話題を調べたり考えたりしている間に、インフルエンザに対する検査キットの思い出を書きましたが(前号)、そもそも今ではパニックなんかを起こしていない毎年のインフルエンザ渦に対しての国を挙げての(国だけでなくマスコミも庶民も感染症専門家も開業医も)現在の対応というものは、「滅茶苦茶いい加減なんだ」ということに遅まきながら気付きました。

 平成19年(2007)の厚労省資料(医薬食品局の会議用資料)によると、インフルエンザ死亡者実数は、1400人(1999)➞600人(2000)➞200人(2001)➞400人(2002)➞1200人(2003)➞700人(2004)➞1800人(2005)でした(他で見た資料より少ないような気がしました・・・・)。これを示した棒グラフを見ても、タミフルという治療薬の導入(2001年に保険適用)がインフルエンザ関連死亡を減少させた効果は全くなかったことを知りました。

最近の日本でのインフルエンザ関連死亡者は数千人で、簡易キット検査陽性者数は1千万人に及んでいます(偽陰性が多いとすると,感染者の実数はもっと多い)。この20年の間に高齢者が増加したことが関連死亡者数の増加に寄与しているかもしれません。65歳以上の死亡者数が以前から多いのです。
 そうしますと、現在の毎年のインフルエンザ渦の実態は以下のようになります。キット検査の偽陰性率が50~30%(感度が50~70%)というようないい加減な検査精度のもの(特異度は90%以上で、偽陽性率はそれほど多くはない)が使われています。そして治療薬というものの成績が関連死亡者数を減らしているという効果はないようなのです。
 これでパニックになっていないのです。「だから、インフルエンザこそパニックになるべきだ」と言いたのではありません。パニックになっていない知恵を学習しようではありませんかと問いたいのです。
 これは生活の知恵といえるかもしれないが、それよりもむしろ、「それしか仕方がないじゃあないか」という現実受容の姿勢だと私は思うのです。

 インフルエンザの簡易検査キットのことを述べますと(PCR検査ではありません)、安価で容易で短期間で結果が出るというのが最大の利点でしょう。しかし、感度が不良で偽陰性が30~50%も出ることについてはどういう意義があるのかという疑問が出てきます。検査を受ける患者にとっては、陽性が出たら「大きい確率でインフルエンザである」と受け取ってよいということが一番大きい意義でしょう(特異度が95%であれば、非感染者の百人中で5人は偽陽性ですが)。そして、陰性が出たら「臨床所見を加味して臨床診断を付けましょう」というダブルスタンダードを用いるという「哲学」ということになります。このことは下記の「亀田感染症ガイドライン」の記載を読んで再確認できたことです。その記載はイデオロギーではなくて、実地臨床に携わっていることから帰納される妥当なものと思いました。

 ●<インフルエンザ迅速検査> 感度は5070%、特異度は90%以上。疑った状況で検査陽性ならインフルエンザと診断して良い。 一方で、感度が低いため、事前確率が高い状況(例えばインフルエンザ流行期に濃厚接触歴がある 患者が発熱で受診した場合)では、迅速検査が陰性でも除外できない。流行期においては、検査結 果に関わらず、臨床診断を重視する。流行期の典型的な症状(発熱、頭痛、筋肉痛、咽頭痛)と 接触歴(家庭内の罹患者の存在)があれば、迅速検査なしで診断してもよい。(亀田感染症ガイドライン・ インフルエンザ流行期に致死的な疾患を見逃さないための手引きー最終更新20188月 作成:山室亮介・黒田浩一 監修:細川直登)

 ただ、これを突き詰めると、臨床所見と濃厚接触歴があればこのような低感度のインフルエンザキット検査はそもそも不要だという結論も妥当だという結論になってもおかしくはないと僕は思います。しかるに、この検査が生き残っている理由は何かといえば、「単に頭の整理が出来ていない」というつまらない根拠でなければ学会や製薬業界に関わる利権の絡み(善悪は別にして)かもしれません。ただ、僕は別の理由も多少ありかなという気持ちがあります。
 もともと、タミフルは当初から副作用リスクからの反対論が多かったのです。忘れっぽい一般の日本人は覚えていないかもしれませんが、政府に何でも反対という勢力がタミフル使用に強固に反対していました。言わずと知れた大手マスコミと日本保険医協会(構造上、僕も多くの医師がそうであるように、日本医師会と日本保険医協会の両方に加入しています)の機関誌です。
 インフルエンザでもないのにタミフルなんぞを服用して精神異常を起こして、飛び降り死亡でもしてしまったらダブルに不都合です。だから、陽性になった人になら少なくとも確定診断に限りなく近いからタミフルを用いる壁が低くなるというのは当初はわずかながらあったのかもしれません。今でも、未成年には特別の理由がない限りタミフルを投薬しないことがルールになっています。ただ、この精神変調はタミフルが原因ではなくインフルエンザの一部にそういう症状が出る要因が内在しているのであるという考えが次第に増えていっているという情勢だと思われます。

 次に治療薬のことに話を移します。タミフルは関連死亡者数を減らす効果が結局は認められていないようです。日本国内でも海外でもその効果は「有症状期間の有意の短縮」しかないようです。開業医としての僕の認識もそんな感じでしたし、そう説明していました。「タミフルという薬の効果はいうほどのものではないのではないか」という疑問が出てくるのです。
 下記に「日本感染症学会提言 ~抗インフルエンザ薬の使用について~」(2019.10.24更新)の一部を引用します

インフルエンザはself-limitedな疾患であり、対症療法のみで軽快することもしばしば認められます。リスクを持たない若年者では、全ての患者に抗ウイルス薬を投与する必要はないとする考えもあり、発症後の日数が経過している場合や、既に症状が軽快傾向であるならば、経過観察となる場合もあると思われます。しかしながら、リスクを持たない人においても重症化することが認められ、病初期の段階でそれを判断することは困難です。

 これを読むとますます、学会自体がタミフルを用いる「言い訳」を無理やりしているようにも感じます。世界で日本が断トツでタミフルを用いており、米国はその半分でしかなく、その他の国々ではあまり用いていないのが実情です(その差は、各国の医療費の高騰を真剣に避けようとする意志の差の反映と僕は思っています)。
 日本の開業医としての僕は日本の多くの患者がその服用を希望するコンセンサスがあるからそれに従っていたことが大きく(保険医登録して活動しているので、自分の独特の考えだけでは診療はできません)、それほど重要な切り札だとはあまり思っていませんでした。しかし、そういう僕自身は自分のことでインフルエンザを疑った時に(検査は陰性だったが)、リスク・ベネフィットの確率を考えて自己服用したこともありましたし、今後も状況に従って服用するだろうと思っています。「やることはやった」という納得感が自己体験でも大きいこともある(いつもそうだということではないが)と思いました。

 タミフルの効果が曖昧であるという原因は、薬剤自体の問題よりは実は相手が流行の感染症ということ自体にもあるように思うのです。上述の「日本感染症学会提言」の引用の最初のところがそれを示していると思います。「インフルエンザはself-limitedな疾患であり、放っておいても大多数は早期に自然治癒する」からです。こういう疾患に「決定的な治療薬」という話もケッタイな話です。新型コロナでも「特効薬」とマスコミやユーチューブでいろんな薬品のことを話題にしていますが、「特効薬」という言葉の怪しさも意味論的に検証を要する用語です。「目くらまし」を受けては駄目だと思います。実際は「納得感」が一番大きいかもしれないと思います。なお、細菌疾患における抗生物質の一般的な重要さのことを考えると、全てをケッタイな話と否定するものでもないとは思いますが・・・・。 
翻って、肺癌とか膠原病とか認知症とか自然治癒があまり起こらないであろう疾患においては、有効な治療薬の候補に対する期待自身も大きいのですが、これらについての治療成績の判定結果はもっと判りやすいことになるのです。

 以上のごとく、日本国内において毎年1千万人以上の感染を冬季の4カ月くらいの間に集中して巻き起こし、その結果、関連死亡は数千人に及ぶというインフルエンザ渦であるにもかかわらず、検査も薬も実に「いい加減な」話で終わっているのはどうしてか?
 僕は、「実際にいい加減な領域の事象であるのでいい加減にするしかなく、それが正解なのだろう」と思います。「いい加減な」は「ファジー」とも言い換えることが出来るでしょう。相手は目に見えない代物で厄介です。

 我が国では、冬季になればマスクをする人が増えています。僕自身はマスクをつける習慣はありませんが。そして、インフルエンザと思われる患者が発生すると、なるだけ他人とは接触しないように工夫をして、それが集団発生的になってきたら、その集団だけ学級閉鎖にしたり事業休止をしたりしてきました。「それだけのこと」を一応真面目にしていたら、「それ以上のこと」は人智の及ぶところのことではないような判断であったように僕は思います。
 毎年毎年大きい被害が出るという大問題でもありますが、毎年毎年であるので、まあ全体の被害のオーダーの予想が可能でもあるし、「災害」として通り過ぎるのを待っていたと思われます。「頑張ったうえは、後はお天道さまに任せる」が良いということだったと思います。
 現代は、特に近代以後の西洋文化では、善と悪・正解と不正解などのdichotomyが席捲し過ぎており、長い独自の文化を有する我が国もその西欧イデオロギーに染まってきていると思います。「ある政策を取ったから上手くいった」こともあるかもしれないが、「ある政策を取ったにもかかわらず上手くいった」こともあるのです。治療では「ある治療法を用いたが、後で考えると一般的には別の方がよかったかも知れないが、その患者にはその方がよかった因子が運よくあった」というようなファジーな面があるのでした。その逆も真なりです。
 人智の及ぶ以外の理由で結果が左右されることもあるのです。「政府の政策で完全にコントロールできるはずだ」と思いきらない方がよい場合もあるという真理を知る必要があると思うのです。マスコミがこういうイデオロギーで政府を攻撃する習慣はもう止めた方が宜しい。政府もマスコミに結局は左右されまくるようなことでは国民が大迷惑することになると思います(国民という言葉も怪しい言葉ですが)。

 あくまでも日本国内の話をすれば(外国での被害の多さの理由は、想像は出来ても不明な点もあるから)、新型コロナへの対応において「それ以上の対応」をしようとしたことに僕は疑問を感じるのです。確かインフルエンザが非常に流行した年では日本でも関連死亡実数は1万人あるいはそれを超したとの記憶があります。この記事を書いている時点でさえ(新型コロナが日本に上陸して、もう4カ月も経っている)、関連死亡実数は数百人でしかないのです(僕の当初の予想の、「せいぜい百人程度」というのを残念ながら超してしまったが)。少なくとも新型コロナによる関連死亡者数や重症者の数は、結局はインフルエンザ以上のオーダ―にならない蓋然性は誰の目にも明らかなのではないでしょうか。
 確かに「新型」のウイルスであるので、不明な点があるという一般的リスクがあるために、当初は過大かもしれない防御反応から始めたのは正解としても、もう4~5カ月も経過して、被害のレベルは想像ができるようになったと思うべきだと思います。

 事業が出来なくて経済的にも精神的にも変調を起こす人々も増えるし、「うつ」が増加し自殺者が増加することが多分確かであろうと思われます。最近の、日本の自殺者は年間数万人もあり、自殺の二番目の関連原因は経済的問題なのです。こちらの人数のオーダーの方が多いのではありませんか。
 もし、例年のインフルエンザ関連で死亡する人数を毎日毎日テレビの定時ニュースやワイドショー、そして新聞紙上で報道したら、インフルエンザであっても大変なパニックになってしまうはずです。僕は、先に上げたブログで繰り返し述べていますが、心理的パニックの有無の方が根源的な分岐点だという、一見順序が逆のパラドックスのようなことを思っています。その心理的なパニックを誘導しているのは、テレビ業界と新聞業界をはじめとするマスコミだと思います。

僕は、肺癌を含む肺疾患の多くの人々を担当させてもらってきましたし、有床診療所では最期を看取ることも多かったので、非常に多くの人々の最期の状態に立ち会ってきました。中には大往生と受け取られるような場合もあり、高齢者が多くなる中でそういう最期をお迎えになるようなことをある種のプロデュースできるような心構えをする必要があると思っていますが、多くの方の最期は、どんな病名であっても、辛いことや中には悲惨にみえることもあります。一応、病気で亡くなるということはそういうことなのです。そして、人口1億人以上の我が国では毎日毎日いろんな原因で死亡される人の数は膨大なのです。それぞれ、しばしば悲しく辛いことが絡んでいるのです。こんなことは毎日毎日テレビなどで流すようなことではないのではないかと思います。というより、普通は流してはいないのです。
 
 ただ、こういう僕も今回の新型コロナ関連では相当数の有名人が死亡されたことを知って、一寸多いのではないかという印象を持っています。これについての解説は自分にはできるものではありません。ただ、自分の中では今のところ三つのことを思っています。①どうも人工的に変異を誘導したウイルスが研究室から漏れてきたらしいので、壮年者でも状態を悪化せしめる属性を有しているのかな? ②常であれば、新聞の有名人の死亡欄では、その病名はせいぜい「肺炎」「心不全」「高齢のため」くらいしか明記していないと思われます。個人情報を詳しく書かないためだからだ。だから例年でも「インフルエンザ関連肺炎で死亡された」というような詳しい記述は普通はないと思われます。つまり、今回の新型コロナではマスコミが虫眼鏡で詳しい個人情報を流すから、そういう「多いなあ」という印象を与えている部分があるように思われる? ③今の僕には判らない理由があるのかな?、ということです。ただ、繰り返すようですが、死亡者数自体は例年のインフルエンザに比べても1~2桁少ないのが現状であります。

 相手は目に見えないウイルスであるから、広い国土という舞台においては完全に近い防御をしようという方針がそもそも無理な考えだと思います。人類が自然を征服するという考えも全部は否定するものではありませんが、そこそこの考えにしておかないと自然から手ひどいしっぺ返しを食らうというものです。工夫によりなるだけ被害の少ない体制を作ろうというのは正解だろうと思いますし、現在までの我が国の方針は、結果的にもそこそこのものだったかもしれません。しかし、国家の経済状況や国民の精神状態などとのバランスを考えていないようであれば、それは問題であると思います。この記事を書いている時点では、もう社会規制を外さないといけないと僕は思います。
 政府の方針も多少は重要であるとしても、一番重要なのはそのウイルス自身の持つ属性でしょう。それが極めて悪質なものだったか、そうでなかったのかという人間の力を超えた実態の方がその結果を大きく規定する要因だと思うべきでしょう。運・不運が絡んでいるはずです。
 以前のSARSの場合は、死亡率が非常に高かったが、幸いにして感染し易さが低かったようだった。それはラッキーだったのだと受け取るべきだと思うのです。今回の新型コロナは感染力も重症化率も、少なくとも日本においては、例年のインフルエンザと大きい違いはなかったということを素直に認めるべきだと僕は思います。

 外国と比べて日本の新型コロナ渦が軽微である理由についていろいろな仮説がユーチューブで語られています。先ず、日本のウイルスは異なるサブタイプではなかろうかというのがあります。今の僕にはよく判りません。武漢からのオリジナルのものではなく欧州からの変異株が入ってきたものだとかも。それならラテン系の状況が悪いのと符合しません。次に、日本人の特殊性のことが語られています。たとえば、遺伝子の差・BCG接種の影響などです。これらのことについてはなかなか科学的な決着は付きにくいと思われますが、僕は多分あまり関係がないと思っています。
 日本人には握手や抱擁の習慣はないし、日本人がきれい好きであることもあり、悪い方の個人主義が目立たないこともさることながら、僕の思う最大の理由は、日本においては貧富の差が極めて少なくて、生活状況が幅広く良好であるからだということです。日本の医療体制も確かに大きい貢献をしていると思いますが、衛生的な生活という面からもこの貧富の差がほとんどないという実情において日本が特殊な国であるということです。僕は、このことは先ず間違いがないと思っています。
 常に国民に不満を植え付ける日本のマスコミ論調を鵜呑みにしていると、こういう誰にでも判るはずの考えにはならず、日本は欧州から遅れた国だとか思わされてしまいます。僕は40年前に米国の首都ワシントンの郊外にあるNIH(国立癌研究所・免疫生物学研究室)に留学して、いろんな生活の場での経験がありますが、その時点でも、日本のほうが余程、衛生的な生活であることを知ったものです。
 つまり、今回の新型コロナで見えたものは、実は、日本人の大部分は貧富の差が極めて少なくて、かつ、衛生レベルの高い生活を送っているという真実と、世界市民イデオロギーという病魔に侵されたマスコミが国を大事にしようという報道ではなくてイデオロギーを愛する報道をし続けているという事実であるということです。
「世界市民イデオロギー」についてはいずれ議論を上げたいと思います。(注)既に、本ブログ「平和主義と菜食主義について」で触れていました(20200509)





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