2020年5月12日火曜日

「インフルエンザから見える真実」ーコロナ治療薬への過度の期待は馬鹿げている 

先の投稿で、「新型コロナから見えたもの]ーインフルエンザの治療っていい加減過ぎることに気付いた、の続編(裏返し)です。繰り返しますと、パニックを長らく起こしていないインフルエンザにおいて、年間1千万件以上が陽性となる簡易検査(PCRではなく、免疫酵素抗体クロマトグラフィを用いての抗原チェック)においては偽陰性が30~50%という正答率の著しく低いものです。また、治療薬として我が国で莫大な投与機会を誇っているタミフルが導入されてからも、死亡率の低下という効果が明らかであるようには結果的には全然思えません。そして、なお年間数千から1万人の関連死亡者数を重ねています。なお、欧米では日本よりはもっと死亡率は高いのです。
そういうことですので、インフルエンザは既に実地医療的に大成功を収めているから、もはや問題がないようになったかの雰囲気ですが、実は、全然そうではないのです。

今後さらに開発されてくる新型コロナ検査自体についても、偽陰性と偽陽性の実態を認識してから冷静な評価をしなければならないと思われます。そして、たとえ良い検査が開発されたとしても、それ自身は治療ではないからそれだけであまり期待し過ぎないようにという意見もあり、その通りでもあると思います。
しかし、治療薬に対する期待にも同じことが言えると思うのです。ここでは、特に、治療薬への過度の期待についての意味論的な疑念を書いておきます。

平成12年から連載を始めた「ヘルスコラムM」というブログは、健康や医療において世間で常識と思われていることにおける「勘違い」のような事柄を意味論的観点から明らかにしたいと思って書き始めたものです。全部の内容がそういう趣旨のものでしたが、特に第83号の「当院に品揃えしてある薬剤の現状から判ること」において、「鎮咳剤」は「咳が軽くなるかも知れない薬」であって「咳が止まる薬」とは限りらず、「去痰剤」もそれによって必ずしも去痰が奏功するとは限らないことを嫌味たらしく述べています。鎮咳剤や去痰剤は僕にはそんなに効果があるようには思えないのです。
実は、疾患の領域や治療薬の区分によっては、非常に治療効果の良いのが揃っている場合と、期待が先行しているだけのような場合があるのです。後者のなれの果ては、サプリメントの世界と一部の漢方の世界だと僕は述べてきました。 

僕は、コロナ治療薬(候補薬)の領域では素人のような者ですが、「コロナ治療薬」というターミノロジーによって多くの人が心理的に目くらましを喰らっているように思われます。それは世間だけでなく、その筋の専門家も言葉の魔力に流されているように思うのです。
かなり有効な薬剤が手に入った場合は、大なり小なりの恩恵を与えてくれるでしょうが、その薬剤だけで解決できるような種類の事案ではないと思います。「一応、認められた治療薬を服用したから、することだけはした」という安心感というか納得感というか、そういう意味合いも大きい場合があるような気がします。あるいは、ほとんどがそういうことでしかないこともありうると思われます。
後者の状況は、将にインフルエンザの治療の場では長年その通りの状況であるということに気付きませんか!

 なお、ワクチンへの期待も一般的には大いにあると言えるのですが、成功していると思われているインフルエンザでの事実を冷静に見つめますと、「やはり、それでも、年間1千万人以上の感染があり、数千人以上の関連死亡者がでてしまう」ということですので、バラ色の結果がもたらされるようには思えないのです。
ワクチンや治療薬への期待が実際にそのような程度でしかないのであれば、結局は現在のインフルエンザへの対応のようなもので仕方がないのです。水際作戦の時期は過ぎてしまったのに「新型コロナ陽性者がまた十数人出現した」とかいって一喜一憂する姿はおかしいと思うのです。そもそも東京であれば1千万人の人口があるのでそんな数は極めて僅かなのです。
インフルエンザでは、その季節が終わってもまた翌年には流行するし、結局、人類と共存していることが実態なのです。そして、僕が注目することには、インフルエンザは夏季にも少数ながらダラダラ生じているのです。要するに、その年においても一旦完全に終焉したということでもないのです。 

ある国が島国で人口も少なく元来あまり他国との交流がない場合を考えると、水際作戦でほぼ見事にウイルスの上陸を阻止するということは考えやすい。一方、大陸の中の国で、周囲との国との交流が盛んである場合を考えると、そもそも水際作戦の成功は難しいことが想像できます。この区分で全てを説明することはできないと思いますが、思考実験的に参考にすべき区分だと思います。
台湾は典型的な好条件を揃えていたところに果敢な政府主導があって見事に水際作戦を成功させたようですが、モンゴルも島国ではないが地理的には類似の状況だったのでしょうか。日本は、島国であるという利点以外は、水際作戦が奏功しにくい条件が重なっているように思えます。しかも、政府がいかにも中共に忖度したように水際作戦をし損なったので大方の非難を浴びています。僕は、中共への忖度とともに東京五輪の存在が判断を遅らせたと思うのですが、理由が特に前者であれば絶対に許せない姿勢だと思います。

ところが、一旦、水際作戦が破られてしまったという時点以後の対応は水際作戦で勝負している時の対応とは全く違う戦略が必要だと思いますが、それを明確に論じているような意見を僕は聞かないのです。
確かに、ある時期にある程度のシャットダウンやロックダウンをすると感染のピークを下げることが出来て、かつ、遅らせることが出来るのではありますし、「量から質への転換」という弁証法的な真理を考えますと、シャットダウンによる質的な解決のチャンスはそれなりにありうると思います。
しかし、水際作戦の時のような「完全」を目指すということであれば、それは考えが間違っていると思います。この時期では「そこそこ」を目指すべきだと思います。その最大の理由は、相手は「目に見えない」ものだからです。「そこそこ」しか現実的には無理であって、それ以上を無理やり目指すと、日常の安定した生活や経済や健康を大いに損なうのです。
結局、現在のインフルエンザへの対応は、そういうところに落ち着いているから、毎年の生活を安定して送ることが出来ているのでしょう。
新型コロナが今後毎年問題になるかどうかは不明ですが、たとえ毎年ある程度起こっても、日本においては第二のインフルエンザが出現してしまったと思えばよいと思います。特に今年は、新型コロナ渦に伴って従来のインフルエンザ渦の災害が非常に少なく、「合計の災害は例年より明らに少ない」という評価もできているのです。

 ところで、現実には、新型コロナは今年以後は流行しないかもしれません。流行するかしないかは人類の対応が上出来だったかどうかよりも、新型ウイルス自体の人智を超えた arbitrary behaviorに拠るところが大きいと思うべきではないでしょうか。以前のSARS渦がその後起こらなくなったことの理由もそれはそういうことで、人類にとっては「運が良かった」ということでしょう。



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