2020年5月31日日曜日

コロナ検査 そもそも「臨床検査は個人の治療方針のための資料」が出発点

 大凡、個人に対する臨床検査の結果は、それを以てその個人の治療方針の決定に役立たせるためのものです。コロナPCRでも本来の出発点はそうなのです。だからといって、「個人の資料を広く公衆のために使用すべきではない」というような人権派似非知識人のようなパターンを言うつもりではありません。ただ、その結果は、実は、その個人における治療方針においても、そう単純なものではないのです。ましてや、個人のデーターを集団に流用する場合には問題点があるかどうか、あるのならどうすれば解消できるかなどの議論が先にないといけないと思います。

 ところで、ある疾患の有無に参考となるマーカー検査(指標検査)で最も馴染み深いものは、腫瘍マーカーでしょう。僕も、肺癌や胸腺関連腫瘍を専門にしてきましたので、実地医療に反映していました。ある腫瘍において特定のマーカーが80%も陽性であるような検査なら、精度の高い検査だということになります。偽陰性が20%もあり感度が80%しかないともいえる検査でもそうなのです。しかし、腫瘍の診断の場合では、最終的には組織診断や細胞診という検査によって診断を確定してから治療を開始することに普通はなります。だから、マーカー診断においては、精密検査をしてみようという高リスク群の検出に有意義なスクリーニング検査であるということに過ぎないのです。
 もし、この検査が陽性だということだけで治療を始めるとしたら、それは感度が99%でも十分とは言えない点が出てきます。百人に1人は肺癌でもないのに肺の一部を摘出したということになりかねません。この点をいろいろ書こうとしますと何頁にもなってしまいそうです。ここで述べたいことは、この個人の検査結果をその個人の治療に反映させる場合においても、「総合的な」治療体系の中で考えていくことになり、検査結果が独り歩きするわけではありません。ましてや、個人の結果を公衆のために流用する場合は、その意義の限界について、慎重な検討が必要だと思います。

  インフルやコロナにおいて話題になっているマーカー検査は、この陽性・陰性という結果によって「インフル症」とか「コロナ症」とかいう病名が決定するのでは本当はないのです。「コロナ症」という診断は、本当は、コロナに感染した結果現在の病気が生じているということです。そこまでは検査結果だけでは言うことが出来ないはずです。コロナ陽性の人の風邪症状は別の疾患による症状の人が何割か含まれているはずです。その場合は、他の原因の風邪疾患の人がたまたまコロナウイルスにも出くわしていたということです。ということで、受検者のレベルでも疾患の確定ではないし、治療方針も本当は決まるわけでもないはずです。これは医学上そうなのです。ただ、実地医療上は、「この人は陽性だし「コロナ症」らしいから、そう扱っていこう」というのは現実的に多いのでして、普通はこういうことでそれなりに機能しているのです。しかし、仕方がないにせよ、実地医療というのは理屈的にはアバウトな部分があり、「いい加減」なことが避けられないということは自明なのです。

 ここで、インフルでの実際について振り返ってみます。この十数年の間に日本でも広く親しまれているインフルの簡易キットは、ウイルス(の構造の)の存在の有無をチェックするということだけの検査です(コロナPCRも似たようなものといえると思います)。この検査陽性という結果だけで、本来的にもその個人に対する治療法が決まることでは実はありません。治療面での本来的ということでは、陽性者全体に治療薬を投与するのが適切という根拠はそれほどはっきりしているわけではありません(薬の効果自体も決定的ともいえないことは別にして)。一方、治療面での現実的ということでは、本人の意思で治療薬の服薬の有無を決めてきたのです。それでよしとしていたのです。ただ、検査陽性者については、日本の従来からの生活の知恵(マスク使用やなるだけ自宅待機度)がある程度は機能していたと思われます。 

 何度も書いて恐縮ですが、インフルでは医療機関からの把握できる範囲でも年間の感染者数は1千万人以上(検査感度が低いことを考慮に入れると、1千5百万人~2千万人以上)が検出されています。症状があっても受診しない人もいるし、無症状でも感染している人もいるだろうし、ということを考えると、日本では毎年インフルは3千万人程度が感染している可能性があります。人口の3~4分の一に及んでいるのです。それでも冷静に対応しているのです。今のところは仕方がないからです。もし、余計な対策をすれば、その効果は不明で、強烈な社会上の副作用が生じるからです。それが、コロナで起こっていることです。
 コロナの話になりますと、最近ロックダウン的な規制状況を解除にしたら、「また、どこそこで10人の感染者が出た」などと馬鹿な扇動をマスコミがするし、今や、地方行政や政府やその筋の学者が同じような談話を連日しているようです。日本の全国に一旦広まった「目に見えない」ウイルスに対する理性のある認識とは思えません。「感染者数」でもって社会規制の判断することがそもそもの間違いだと多くの人が既に述べて久しくなっています。僕もそのように思っています。コロナ感染者数の微々たる変化を「虫眼鏡」で拡大してまで、日本の経済の深刻な問題を放置すべきなのでしょうか。いろんな補助金の支給や無利子の融資などの工夫は、「その場限りの」愚策であります。僕は、この工夫で助かる人が少なくないので反対とは言いません。経済機能を構造的に破壊するという政策をしておいて、その場限りの非構造的な対応策をするというのが愚策といいたいのです、それよりも早くシャットダウンを止めるべきだったし、簡単に再度のシャットダウンなどすべきでないと言いたいのです。

 この論旨での余談ですが、欧米における大きい問題は、感染者数の急激な増加そのものではなく、やはり死亡者などの重症者の比率が多いことだと僕は思っています。このことの理由について、僕は、何度も述べていますように経済・生活・医療などにおける貧富の差が日本の現状からすると信じ難い程の差異であることに拠ると思われます。急激な感染者数の増加自体は、ある程度の感染力の強い目に見ない病原体が原因だから「当たり前」なのです(水際作戦を突破された時点で、そういうことです)。毎年のインフルエンザ感染の爆発がそうであるように。

 コロナPCR検査を日本全体に広めるとしても、「じゃあ、個人に対して1年に何回検査したら納得できるのか?」という矛盾がすぐ明らかになる。何時感染するか判らないので、検査陰性の後で感染するかもしれないからです。「いやいや、それらしい症状の人だけで良いので広く検査しましょう」といっても、偽陰性の人は根拠のない安心結果をもらって、あちこちにまき散らすではありませんか。10人に1人でも日本全体では影響は大きいはずです。このリスクについて限定すれば、今この検査は広くしない方がよいということになります。
 繰り返しますが、個人や政策によるヒト・カネ・モノの閉鎖や遮断方針は、その効果(重症者数と死亡者数の抑制)が不明である一方で、国全体に及ぼす悪影響は非常に厳しいことは明確であります。副次的影響としては冷静で見識のある生活態度が多くの被扇動日本人から脱落していって、愚かな日本人になってしまうということです。

 この「方針」を「薬」に置き換えると直ぐ判るではありませんか。効果は不明だが副作用は強い薬など使えるはずがありません。
 興味あることには、日本ではインフル治療薬のタミフルは最初はそういう議論でマスコミから叩かれました。それから時間が経った今では、インフルに罹った人の「お守り」みたいな存在になっています。しかし、僕の経験からすると、タミフルの副作用も本作用も実際は大したことがないのです。







0 件のコメント:

コメントを投稿