2021年5月30日日曜日

コロナPCR検査の問題点は基本的には検査体制の枠組みの方の不都合だ

この1年余のコロナPCR検査体制の総括=不適切さは単純明快だ (その2)

コロナPCR検査の問題点は基本的には検査体制の枠組みの方の不都合だ

 

 現行のコロナPCR検査の問題点は基本的にはPCR法に内在する不都合ではない

 前号で説明したように、現在のコロナPCR検査における精度・信頼性の問題は、純粋に算数的な要因で生じている。つまり、基本的には、①感度と②特異度という2つの因子に依存しており、さらには、③被検者集団の真の(現実の)陽性率の多寡にも少なからず影響を受けている。つまり、3つの因子で計算の上で明らかになるものだ。

 PCR法を発明してノーベル化学賞を受けたマリス博士が、昨年8月に米国の自宅で不審とも思われる状態で急死していて、その彼が生前何度も講演会などで「この方法を感染症の診断に用いてはならない」と言っていたということが注目されている。コロナ陰謀説につながる話題である。しかし、彼は「用いてはいけない理由」については明確には言っていないということも注目されている。このマリス博士のことについてのこの事実は、感染症・免疫学の基礎研究者の大橋 眞氏のコロナPCRへの疑問書(注1)の巻頭にも書いてあった。そして、マリス博士がPCR法をRNAウイルスの定量検査に用いることに反対していた専門的問題を論じているが、まだ、僕はその内容は力不足で読み切れていない。ただ、意味論的な取り組みの僕の考えと同じ方向であり、現行の検査体制の不具合を批判していることを頼もしく思っている。

 この書物でも議論されいるが、コロナPCR検査法においては、特定のRNA鎖の構造を対数的に複製する程度の指標であるCt値の設定が恣意的過ぎて怪しいとか、そもそも変異の激しいRNAウイルスの病原としてのウイルスを本当に検出しているのか?などの本質的な疑問がある。ただ、僕は、これと矛盾するのではないが、別次元のもっとマクロな枠組み上の議論をしたい。こういう個別の検査法の属性は、最終段階的には計算式の中には入ってこない。つまり、本質的には、他の従来からの検査法の場合と全く同じ算数的な秘密がある。

 インフルエンザにおいて現在汎用されている簡易抗原検査の感度・特異度はもっと精度が悪くて、大凡の感度は60%で、特異度は90%超の程度という記載がある。では、何故、インフルエンザにおいては疑問の議論が湧きおこらないのかは、重要であるが、話は簡単である。昨年5月投稿の「新型コロナから見える真実ーインフルエンザの治療はいい加減だからよかった」、にそのことは既に述べている。

 基本的な枠組み上の議論とは、以下のようなものだ。感度・特異度の不都合が無視できないような範疇の検査法は、いずれの種類の検査法であれ、個人や集団に対する医療側や体制側の強制力を行使することについては、最大の留意を払わなければならいことである。これは、臨床検査というものの結果をもって、医療側や体制側が判断を示す場合の普遍的な問題だ。下記のエイズ関連についての検査体制は当然に重要な参考にしないといけないと思われた。 

エイズ検査の専門家はコロナ政策について傍観して社会的責務を放棄している?

 僕は、最近、エイズ検査についての状況を調べようとして、ACC(エイズ治療・研究開発センター)のホームページを開いた。トップ➞医療従事者の皆様へ➞HIV感染症の診断と告知➞HIV感染症の診断、と進んだところで内容を読んだ。ここの記載は2021年3月5日に更新してある。その中に、以下の記載がある。

 「現在使用できるスクリーニング検査は感度・特異度とも非常に高い優れた検査ですが、常に偽陽性の可能性があり、これは感染率が低い集団で検査を行う際に特に大きい問題となります(太字と下線は僕が強調したこと)。 スクリーニング検査陽性の段階で結果説明を行う場合には、常に偽陽性の可能性を念頭に置く必要があります」 繰り返すと、「一般的に(に違いない)、陽性率が低い集団にこういう検査を行う際には偽陽性の無視できない程度が大きくなり過ぎだ」ということは、統計的・数学的常識なのだ。

 この文章を書いたエイズ研究者は現行のコロナPCR検査のやり方に疑義があるはずだし、あるべきだと思われる。逆に、現行のコロナPCR検査政策を主導している責任者は、この同様の土俵について熟知している研究者の意見を聞かないといけないのではないか!

 ACCでは、スクリーニング検査で陽性の場合は、次の確認検査の結果が出るまで判断を保留にしている。その確認検査においても、2種類の非常に精度の高い検査法を用いての最終結果を出すようになっている。互いに微妙な一長一短があるからだそうだ。 

PCR検査の実用化はコロナ対応が最初ではなかった

 このエイズ確認検査のうちの一つはPCR検査ということだ。僕は、今回のコロナ診断において初めて、PCR検査が無理やり的に開発スケジュールを端折って臨床応用されたと思っていた。しかし、既にエイズ検査でこのPCR検査法が実地応用されていた。多くの一般の人々は僕と同じような認識であったのではないだろうか。既に臨床応用されていたからこそ、エイズの検査にPCR法を適用することについて、マリス博士やこの書物(注1)の著者の大橋博士が大きい疑問を表明していたということだ。

 いずれにせよ、ACCにおいては、スクリーニング検査および確認検査という枠組みでもって慎重に結果判断をしている。それに反して、コロナ騒動においては(インフルエンザの場合でも同じ)、合理的な枠組みなしで、スクリーニング検査だけで、無謀とも思われる結果判断をしているところに本質的な差異があると僕は結論している。すなわち、PCR検査云々ではなく、合理的な枠組みの有無の問題だということだと思われる。

 人は「エイズにはデリケートな問題が絡んでいるから、こういう極めて慎重な対応をしているのであって、エイズが特殊であり、直接の参考にはならないのではないか」というかもしれない。確かに、エイズにおいては、違和感を覚えるほどに個人の人権に気遣いをしていると僕は感じている。しかし。問題点の本質はほとんど同じであると思われる。あるいは、コロナ対策によって、商売が営業不振に陥ったり、うつ状態になってしまったり、日頃の診療を受けることに支障が出たり、その他のいろいろな障害を考えると、実は、コロナの方がもっとデリケートな問題を扱っていると思うべきだろう。

どうすればよいのか、どうすればよかったのか

 今までの話の流れからは、一つの改善策は、コロナ診断検査においても、エイズと同じような信頼性の大きい枠組みの検査体制を敷くことであるという人がいるかもしれない。しかし、僕は、これは現実的ではないのは明らかだと思う。物凄く面倒くさく、費用も手間も掛かり過ぎるし、かえって、社会や社会インフラが壊れていく。エイズ感染とコロナ感染ではいろんな点で違っている。その一つに、前者には時間的余裕が十分ある。 もう一つには、被験者の数が比較的に大変少ないことだ。

 僕は、コロナ関連のブログを昨年の2月から書き始めて、20編ほどになっている。そのうちの4編をユーチューブに上げている(ハンドルネーム=miz-oka)。その2月の時点で、根拠を挙げて明確に述べているように、従来のインフルエンザ並みの、真面目であるがアバウトな対応が正解だ。結局、こういう臨床検査は確定検査ではないのであるから、アバウトな対応しかないではないかということだ。一言で言えば、インフルエンザでの簡易抗原特定検査法も、実は、「気休め」みたいなものだったし、治療薬のタミフル錠も「気休め」みたいなものだったし、不活化ワクチンも「気休め」かそれに毛が生えたようなものだったと僕は気付くようになった。今回のコロナ事案においても、検査結果(コロナ検査において、実は、PCR法だけでなく、簡易抗原同定検査法も用いられている)も臨床上の実態や重症度との相関は実は不明だし、ワクチンもインフルエンザの場合より優れていると限ったはずがないではないか。そして、治療薬の候補も早漏的に報道や議論されているが、インフルエンザにおけるタミフル以上のものになることは、ないとは言い切れないが、確率的には少ないと予想すべきだ。数十年以上にわたる歴史のあるインフルエンザ対策より優れた対策がこの1~2年のコロナ事案に達せられるはずはない。つまり、ウイルス専門学的基盤より意味論的基盤の方が冷静に事態を判断しうると言いたい。

  結局は、パニック対応自体が諸悪の根源であるとも論じた。パニック対応が社会インフラを破壊し、医療インフラを破壊する最大の要因であることを、政府は遅まきながら気付かないといけない。今の専門家による諮問内容やパニックを煽るマスコミに反旗を翻す勇気を持って欲しいと思う。しかし、低俗マスコミに長年にわたって洗脳されてきた多数の国民が変わらないと、政府も難しいのではないかと思うのである。民衆だけでなく、国や自治体の責任者も衛生行政の責任者も、集団ヒステリー状態になっている。 

日本においてはインフルエンザ的対応でよい理由

 理由は判らないとしても、人口の多寡・経済力の差・貧富の差・清潔度の差・政府対応の差、などにかかわらず、少なくとも最近までは、中国・東南アジア・極東(日本・台湾・韓国など)・オセアニアなどの東アジア領域では概ね桁違いにコロナ関連の重症患者や死亡者が少ないことをもっと注目すべきだ。それ故、西欧諸国などと同じような厳しい対応はすべきではなかった。人間の健康も人間の生活も国の活動もコロナだけではない。コロナだけを超拡大注視して他を疎かにするような医学専門家の言うことを政府はそのまま聞いてはならない。

さて、オセアニアも似たような状況とすると、人種の差とも言い難い。昨年5月に論文で発表された上久保靖彦博士の意見(ユーチューブでも知ることができる)については、このブログの昨年8月24日に紹介した。これによると、これらの中国の近隣地域では、「コロナ変異株のK型の流入によって集団免疫の強化がもたらされたという。見事で美しいデーターだったので、僕はそうかも知れないと思っている。ただ、もう一つ考えやすいのは、この地域にはもともと土着のコロナウイルスがはびこっていて、これによる集団免疫が常から広まっているという説であろうと思う。 

日本における現在のコロナ狂乱は、不必要なパニック対応が大きい原因だ

 以前のブログにも書いたが、日本の医療インフラは大変大きい。「これが崩壊するからもっとコロナ専用ベッド体制を確保せよ」と言っている医師会や自治体は大きな誤りを犯していると僕は思う。慎重にではあるが、基本的にインフルエンザ並みの対応に変換すれば、医療インフラは崩壊しない。そして、マクロ的には、日本人全体の健康や生死についてカオス状態になるようなことにはならないと思われる。

 今の日本におけるコロナ関連死亡者の統計はとんでもない内容の厚労省通達(新型コロナウイルス感染者患者の急変及び死亡時の連絡について)によって操作された水増しデーターと思われる。水増しデーターを作ろうと意図したとは思えないが(僕は、東京オリンピックの開催のために、IOC等からの信用失墜を避けるために早期に強力介入しておこうという方針を採ったからだと想像している)、結果的にそうなったのは明らかで、失政というか刑事訴訟問題(死因の改ざん)ではないだろうか。その通達の内容は、「実際の死因には拘らず、PCR検査陽性であった死亡者は、全員、コロナ死亡者として報告するように」ということだった。この通達は昨年6月18日に全国の自治体の衛生主管部(局)に発せられ、そこから活動中の医師全員に郵送された。自分が受け取った時には見ていなかったが捨てていなかった。いくつかのユーチューブにこの書面の内容が掲載されている。 

 日本において、コロナが原因の積算死亡者数は1万人などとは程遠く、多分、せいぜい数千人以下であるに違いないと僕は推定してきた(直接のデーターは持ち合わせていないが、人生の長年の経験からの想像で)。これが非常事態宣言もどきの規制を強制する状況とは全然思えない。ECMOnetがネットに公表している国内のコロナ重症管理データーに基づいた議論で、実際のコロナ死亡者数は千人超くらいだろうという複数の意見が最近ユーチューブに出されている。

  新聞やテレビの報道は連日、新規PCR陽性者の数を報道して騒動を広めることに躍起であるが、これが「評価不明の数」であることは前号のブログで説明した。「評価不明の数」であることを多少とも改善するには、少なくとも、分母である被検者数を合わせて表示しなくてはならない。また、重症患者数や死亡者数も報道し続けられているが、その数はもともとスクリーニングとしてのPCR検査陽性という信頼のできない判定に拠っている数なので、信憑性は不確かだ。他の肺炎の死亡者である可能性が実は多いはずだ。そもそも肺炎は日本の死亡原因の第5位で、毎年の死亡数は約10万人とのことだ。コロナPCR検査による安易な判定や厚労省通達の看過できない通達内容を考えると、日本におけるコロナ感染が主な死因である数はやはり数千人以下でしかないと僕には思われる。     

 繰り返しではあるが、僕は、このコロナ騒動の要因として、マスコミは何かにつけ騒ぎを大きくすることと政府の方針にケチをつけることがその活動方針であること、ウイルス検査の領域の利害関係者(製薬業界や基礎研究者など)は周りが素人だということをいいことに不安を煽り過ぎていることを疑っている。その他にも、野党は政府を攻撃することしか能がないこと、その筋の超優秀な科学専門家の一部も、社会全体からするとごく狭い範囲のエキスパートに過ぎないにもかかわらず、大変有難い情報の他に余計なオーバーディスカッションをしてしまうし、政府は当面に必要と思う主要施策を通すためにマスコミと野党からの攻撃に引きずられっ放しで、科学専門家の意見を判断する能力も胆力も持ち合わせていないこと、役人はサラリーマン体質にならざるを得ない社会構造であること、などが挙げられると思う。つまり、コロナ騒動においては国家がコントロールされず漂っている状態だ。そして、国民はマスコミの低俗情報に右往左往するように退化している。以前の号で議論したように、Homo sapiens から Homo maskusへの退化だ。

最後に、新聞やTVでは、感染の広がりに関わることに限っても、PCR陽性者数だけを報道して世間を必要以上に不安がらせており、陰性者数や被検者総数を併記していないことについて、マスコミ陰謀論を無視できない僕は怪しからんと思ってきた。ところが、大変遅まきながらそういうデーターは公表されていたということを僕は知った。それは、ネット公表である。厚労省、東京都、NHK、日経、その他で、ネットではそういうデーターが連日更新されている。しかし、家庭で新聞やTVだけを情報として受けている多数の人にはやはり判らない。やはり、マスコミ陰謀論は否定できない。

次号では、ネットに公表されているうちで、陽性者数・陰性者数・被検者数のデーターから判断できたと思うことを述べることにしようと思う。

(注1)大橋 眞氏著「PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない」    ヒカルランド、2020. 

(追記)本号は、5月27日に投稿した。その後で、検査陽性者数だけでなく、被験者総数や検査陰性者数がネットの上では広く表示されていることに気付いて、それ合わせるように少しだけ書き加えて5月30日に投稿し直した。そして、大橋博士の著書について読み始めたところだ。なお、この著書の中で、「特異性」とあるのは「specificity」の通常の日本語の専門用語なのだろうが、この領域での(定量性を論じている)専門用語である「特異度」が適切だと思う。


2021年5月22日土曜日

現行のコロナPCR検査を「5年前にすれば」どういう結果だったか?  

この1年余のコロナPCR検査体制の総括=不適切さは単純明快だ (その1)

現行のコロナPCR検査を「5年前にすれば」どういう結果だったか?  

コロナPCR検査を「真の陽性者ゼロ」の集団に実施した場合

◎現行のPCR検査は、感度が70%、特異度が99%(注参照)

被検者の属する母集団に真の陽性者がいない場合、

その計算結果は、1万人に検査をすると、

検査陽性者 100人(全員が偽陽性者)となる。

これは、5年前の過去に(今回の新型コロナはまだ発生していない & 新型コロナに対する現行のPC検査は技術的に作れない)、現行の新型コロナに対するPCR検査をタイムスリップして持っ行ってこれを行った場合でも同じことになる。日本の1億人に検査したとすると、百万人もの多数が陽性になる。実際には、真の陽性者は存在しないのに。

無差別に広く検査をしてしまうと、無視できない程度のウソの陽性者ばかりが出てしまうということが明らかだ。      

どんどん検査を広めようという専門家は頭が狂っているのではありませんか。いわゆるクラスター関連の場合などの濃厚感染のリスクの高い集団にのみ、それも条件次第でのみ(そのことは、また説明する予定)、許可されるべきものだ。その場合でも、スクリーニング検査というものは、偽陽性の紛れ込みが無視できない程度にありうるという念頭がないといけない。

しかし、広く検査をした場合だけに問題が起こるというのではなくて、散発的におこなった個々の検査結果には確率的に百分の一の偽陽性が出る(特異度が99%の場合にはそうなる。なお、99.9%の場合は千分の一になる)というあいまいさは厳然として存在する。

いずれのスクリーニング検査にもこうした無視できない誤判定がある。こういうあやふやな検査結果でもって、まるで確定的な結果であるかのごとく判定して、個人や所属する集団に対してその行動を、度を超して、制限してはいけない。しかしながら、1年余にわたって日本はそういう状況なのだ。問題は、非常事態とはいえない状況なのに「度を超した」制限や強制をおこなっていることだ。 

現行のコロナPCR検査の一般的現況(おまけ)

◎現行のPCR検査は、感度が70%、特異度が99%(注参照)

●被検者の属する母集団の「真の陽性率」が1%(百人に1人)の場合、

  その計算結果は、1万人を検査した場合、

検査陽性者 169人(99人の偽陽性者+70人の真陽性者)

検査陰性者9831人(30人の偽陰性者+9801人の真陰性者)

実際には陽性者が少ない集団に検査をした場合、少なくとも陽性結果については信頼度がゼロという見方もできる。何故なら、この場合では、検査陽性者の半分が本当で半分がウソだからだ(1万人のうち169人が陽性になり、その陽性者の過半がウソの結果)。

さらに「おまけ」を書くとすると、

●その母集団の「実際の陽性率」がもっと少ない0.1%(千人に1人)の場合、

陽性者のうちで真の陽性者は7%に過ぎず、93%が偽陽性となる。

●その母集団の「実際の陽性率」がもっと多い10%(十人に1人)の場合、

陽性者のうちで真の陽性者は88%に向上し、偽陽性者は12%に過ぎなくなる。それでも1割はウソの陽性ということだ。


(注)日本災害看護学会のHPに掲載の「新型コロナQ&Aその27」には、判りやすい説明がある。その中に、参考記載として「日本感染症学会では感度90%以上、特異度ほぼ100%としているが、その根拠資料は中華人民共和国(!!)の2つのデーターで、特異度が100%のものと98.6%または90.0%のものだった」とあった。そのうえで、このHPでは、「ここでは、感度70%、特異度99%としておく」とあった。この程度の値が大方の考えのように僕にも思われる。なお、僕からすれば、この重要な特異度について「ほぼ100%」という日本感染症学会の記述は多少認識が悪いと思われる。ここでは気安く「ほぼ」は使ってほしくない。それは、98%なのか99%なのか99.9%なのか99.99%なのか判らないが、これによって対数的に偽陽性率が増減するからだ。例えば、~98.6%~とか無理やりでも数値を入れてほしい。(追加)2020年当初からの、この検査の非常に重要な精度の根拠が、中華人民共和国の発表した資料だけに依存して、それをそのまま公的サイトがコメントなしで拡散しているということに僕は驚きを禁じ得ない(2021.08.13)。

 大変重要なことに、もし検査の特異度が本当に100%であったら(偽陽性はゼロ)、その時点で、僕を含む、現行のコロナ検査の適用に対して批判を行っている論者の根拠はかなり(全部ではない)なくなってしまうことになると思う。だから、「ほぼ100%」という記載は安易にしないでほしいと思う。ただ、特異度が100%ということは、現実的・実際的には決してないはずだとも思われる。

(注)日本免疫学会のHPにも同様の「新型コロナQ&A」のコーナーがあるが、「PCR検査の感度は?」についての記述は「検査自体以外の要因の影響が大きいこともあり、一概に感度は何パーセントとは言いきれないのが実情」とある。これは、実態をよく知っている専門家ならではのさすがの発言と思われる。しかし、特異度については言及がないことに僕は疑問を感じる。世間の「感度はどのくらい正確なのか?、つまり偽陰性の心配」だけに迎合していると思われる。偽陰性の問題は確かに重要だが、偽陽性の扱いの方が現状でははるかに問題であるという議論の僕からみれば、この学会の認識は大変悪いと思ってしまう。なお、僕は今でも日本免疫学会と日本癌学会の会員で、50年間も年会費を払い続けている。

(注)また、概念としては確かな「真の陽性者」とか「真の陰性者」自体が実際に確定されることは難しいと思われるので、結局は、感度・特異度の確定値は得られるはずもなく、推定値にとどまると思われる。