2020年5月20日水曜日

コロナ感染での重症化がロックダウン政策によりむしろ起こりやすくなる可能性

前回の記事「コロナ感染者訪問場所の閉鎖」という管理対応の妥当性において、新型コロナ(コロナ)検査陽性者に対してはインフルエンザ(インフル)検査陽性者と同じように流さずに特段の規制をすることに疑問を呈しました。
 そういう対策は当面の感染者数の増加の経時的な曲線の傾斜を緩やかにする効果は明らかと思えますが、数カ月~半年との長いスパンで考えた場合に意味があるとは保証されていないのです。感染者数の増加自体に対しては特別の対応を断念すべきだったのです(それと引き換えに国の機能と人々の一般的な心身の健康と生命を維持せしめるからです)。重症化率や関連死亡者数がその長いスパンで実際に意味のある程度減少させることが出来たのかそうでなかったのかで判断しなければならないことです。このことは誰も確かなことは言えないはずです。過去の資料からはそこまで判らないからです。
 しかし、政府の異常事態宣言による勧告がなかった時点であっても、個々の現場での「コロナ感染者訪問場所の閉鎖」という自主対策の時点で、既に経済的や生活上の不都合こそは明白になっているのです。

 今回の主な論旨は次節で述べますが、その前置きをここで述べておきます。コロナに対してインフルと同じようなアバウトな対応をしなかったので、日本全体の経済における大きい障害だけでなく、コロナに直接関連した死亡者数の増加の抑制は(多少の程度は達成されたとしても)日本全体の死亡者の増加に比べては取るに足らない数であった可能性は大きいと思います。
 日本全体の死亡者数の増加は、経済的な理由による生活の破壊による心身の障害に起因するもので、心身の疾患の増加と悪化による死亡者数の増加と自殺者数の増加、もともとの疾患に対する治療体制の制限による死亡者数の増加などです。人口1億人を超す我が国では、このことにおける母集団は膨大な数であるので、コロナ関連死亡者数が1千人減ったとしても、それで帳尻が合うようなものではないはずです。因みに、自殺者数だけを考えても、自殺者数は年間3万人にも及んでいます。今年はこれに相当数の上乗せ分が生じるのではないかということです。
 全部ではないでしょうが多くの医学・医療関連の専門家は「目先の生命が最優先である」あるいは「医療優先」というイデオロギーで事を考えているように思えてしまうのですが、もしそうならそれは医療関係者の傲慢と思うのです。社会全体を無視してはならないと僕は思います。医療は社会全体の一部なのです。「目先の生命」も大事ではありますが、「少し長いスパンの生命」も大事なのです。
 とにかく、政府やマスコミ先導の規制の効果がまだ不明な間は、「何も規制せずに」「自然の経過を慎重に観測する」するべきなのです。年間に多数の関連死亡者を引き起こすインフルに対する対応がそうであることは今までの記事で既に述べましたが、SARSやスペイン風邪が終息した時の理由は何らかの対策が功を奏したものでもなく、結局はよく判らない理由で終息したのです。

 この記事において主に述べたいことは以下のことです。コロナ死亡者数自体の収支決算は今のところ僕には判りませんが、個々の事例でコロナ感染者の一部の人たちが重症化する頻度の増加が、この「アバウトに対応しなかった」ことに起因することが十分考えられると思うのです。
 僕は、事態の状況を網羅して調べたわけではありませんが、個々の事例において気が付いたと思ったことがあります。ところで、網羅しなくても個々を十分に検証~検討することができれば、それはそれなりの意味がありうることです。随分以前に「質的研究」という研究方法が提唱されているのを知ったことを述べておきます(しばしばいい加減な研究になりがちでもあると僕が用心する研究法ですが、意味がある場合もあります)。
 第一に、内外の医療関係者(ナースや医師など)に感染者が増えて重症者が多いような印象であることです。詳細は避けますが(詳細は僕にも判らないのでもあります)、インフルのようにアバウトにしておかないから、コロナ患者対応者は濃厚なウイルス被曝を受けることになると思われます。重症化率と被曝ウイルス量とは当然に正の相関があるはずです。
 インフルの場合だと「あなたは陽性でしたよ。タミフルを出しておきましょうか」「いや、陽性かどうか知りたかっただけです。会社に迷惑がかかるから。薬は要りません。家でしばらく休んでおきます」「じゃあ、お大事に」という実例のようにアバウトなのです。しかし、日本人の多くは他人に広めないように個々で工夫をしているのですし、もともと清潔な環境に住んでいますので、これでよかったと言えると思います(それでも、年間数千人以上が関連死亡しています)。
 こういう状況なら、コロナで医療関係者が過労状態でかつ濃厚感染を受ける事態にはならないのです。「世間」の要請で効果の保証されていない現場のシャットダウンをすることからじり貧になっていると思うのです。「世間」とは、一般民衆・マスコミ・政府などいろいろ含まれますが、実質的にはマスコミでしかないではありませんか。ウイルス感染陽性者と認定された人々をいろんな手段で隔離することにすると、隔離の外側にはなにがしかの恩恵がもたらされるかもしれないが、隔離の内側では環境が劣悪になります。その内側では、医療を提供する側も医療を受ける側も、濃厚感染による重症感染者の比率が増加して、結局は日本全体での重症感染者実数も増加せしめたのではないかの検証をすべきです。感染者数が問題でなく重症化数が問題であるなら(それが正しいだろうことはインフル対応が示している)、コロナでもアバウト対応が正解であるのだろうと僕はずっと思ってきたのです。

 第二に、これは海外の話ですが、イタリアで感染者数が急増して死亡者数も増えたことは知られたことです。日本以外の西欧先進国での全体的なこれらの指数の悪いことは主に文化的な差異に起因することだろうと僕も前までの記事で述べています、ここでは、イタリアにおいて急に増えた理由について検討してみます。
 情報によりますと、イタリアでは比較的経済状態の良い北部産業地域でコロナの発生が始まったということです。イタリアの産業は国の政策により既に中国人による進出が猛烈で、地場産業が衰退に追い込まれているようです。これは失政ですね。この状況は北部に多いのです。それはともかく、ある日、イタリア政府がコロナに対する対応として「地方から地方への人の移動を明日から制限する」と通告したらしい。そうすると半日ほどの間に北部の多数の人々が列車や車を利用して南部の知人なりのところに移動したということです。この半日ほどの環境で濃厚感染が生じたと思われます。しかも、移動先の南部は相対的に経済的には貧困で、医療機関も以前に比べて閉鎖されたところが多くて、医療キャパシティが乏しいところだったのです。
 僕は、この移動禁止令がイタリアにおける急激な感染増加をきたしたものと思うのです。失政です。これなら、何もしない方がよかったのです。するにしても、移動自粛の勧告くらいにしておけばよかったと思います。「いや、日本なら人々は勧告でも従うが、西欧、特にラテン系は言うことを聞かない」という反論が出そうですが、それでも勧告以上のことをしない方がよかったと思います。百歩譲るとしても、「1週間後」くらいにした方が傷は浅かったと思います。

 つまり、目先の感染者数の拡大は防止しにくいにせよ、長いスパンのコロナ被害と社会全体の機能崩壊による被害との総合的なことを考えると、慎重に考えた末のアバウト的な対策の方を採択すべきであると思われます。このことからしますと、今から遡る、日本政府の「非常事態に対する勧告」が実際は失政であったと思います。
 ただ、以前の記事に述べていますが、世界の主要国の考えが「何も対策を採らない日本政府」への信用をなくすという国益の絡みで難しい選択だったということで、僕はある程度は政府方針について「止むを得ない」点があったと思いました。ただ、国益のためには外国を納得させる「優秀な情報発信能力」がイロハのイですが、これが戦後の日本政府は最低であります。これも長い間にマスコミが足を引っ張るから政治家がダメ人間になっていったのだと僕は思っています。
 いわゆる先進西欧諸国こそ、「人間が自然に対して正しい方法で支配できるはずだし、そうすべきだ」というイデオロギーの塊のような精神文化なので、「何もしないで様子を見る」ことは非難の的になるかもしれないということです。
 しかし、5月になって安倍政権はこの「非常事態に対する勧告」を月末まで延長する方針を採りました。ここに至っては明らかな失政だと思いますので、安倍政権を非難したいと思います。繰り返しますが、短いスパンのコロナ感染の増加曲線を緩める効果のために国家の機能を半分麻痺させてしまい、その一部は回復不可能(倒産するところが増えている)なのです。1千万人超の東京で新規感染者が10人や50人なら何を騒いでいるのだと言いたい。極めて少ないではありませんか。この状況で速やかに日常生活に戻さない連中は、コロナ以外を考えることができない程度しか素養のない医療関係の政府アドバイザーなのか、それとも無責任マスコミに逆らえない政治家なのかと、ひどい言葉も放ちたくなりました。ただ、実際は、やはりマスコミの力は強力だし、今の日本の支配者は政府よりもマスコミであるという面が大きいことを考えますと、医療アドバイザーも政治家も難儀な立場を強いられているのかなという気持ちもあります。多くのマスコミは左翼思想もさることながら、「騒いでなんぼ」という立場を貫いてきたので実に面妖なのです。落ち着いた精神での建設的な意見などマスコミからはなかなかでてこないということです。

 もともと何らかの理由で日本でのコロナによる重症感染者率は低いのだと思われますが、それならインフルと同じような対応でよかったと僕は当初から思っており、この一連のブログの記事でそう発信してきました。
 しかるに、「積極的な」政策を採ったために、むしろ重症コロナ感染症がスポラディックに増えていることが否定できないと思うのです。当初からの医療現場における自然発生的な(これもマスコミをはじめとする世間に言い訳をせざるを得ない医療機関などの自己安全策による)局所的ロックダウン、そしてその後の政府による日本全体のロックダウン政策によってもたされたものは、隔離の内側の医療供給者と医療受給者への濃厚感染ということであったように思います。それは現在も続いていると思われます。ところで、隔離の外側において、貧富の差が少なく清潔的で他人の目を気にする日本においてコロナ関連死亡者が本当に増えないことに寄与したのか自体の点も僕は疑問に思うのですが、少なくとも、ロックダウンによって増加したであろう自殺者数やその他の関連死亡者数の程度にははるかに及ばないものだと推定できると思います。
 効果の判らない政策はそもそも採るべきではない。自然に任せることも立派な見識である場合があり、それは我が国の古来からの精神風土と折り合いの良いものではないでしょうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿