2020年5月13日水曜日

「コロナ感染者訪問場所の閉鎖」という管理対応こそ愚かな策だ

 今回の内容は「何が最適な対応かは判らない部分がある」ということを特に自覚している時点ですので、多分正しいと思う問題提起であるということを述べておきます。日本において、新型コロナ(コロナ)とインフルエンザ(インフル)との重症化頻度や関連死亡率が大差がないという前提(多分、そうである)での検討であります。もう一つ、現在は水際作戦が成功しなかった後であるという状況認識の前提です。
 
 僕は、インフルへの対応とコロナへの対応との決定的な違いはなんであるかといえば(パニック的な対応をするか、そうでないか、の差に起因する点が大きのだと思うのですが)、それは「感染者と判明した人物が訪れた場所をシャットダウンするかどうか」ということだと思います。現行のコロナへの対応については、コロナ対応の医療機関においてはもちろん閉鎖(シャットダウン)などはしておらず、それどころか献身的な治療行為をしていますが、そうでないところは医療機関であろうが店舗であろうが一時閉鎖ないしそれに準じる対応が求められうることになっています。これが現場においては超絶な生活上ないし業務上・経済上の負担になるということです。

 インフルの場合でも、たまたま他の疾患で医療機関を受診したら、そこで他人のインフルを感染させられてしまったという実態は大変多いはずです。実際に、医療機関や学校や職場でスポラディックにインフルが発生してしまうことは日常茶飯事です。その場合、注意の喚起やマスク着用の徹底などの対応が先ずなされます。特にそのスポラディック発生の頻度がガイドラインの上限を超えると、一時的な学級閉鎖や職場閉鎖が実行されますが、それ以上のことはありません。それでずっとやってきたのです。
 しかし、コロナの場合は、普通、一人でも感染者が見つけられますと、その人物が直近の期間に訪問した場所は一時閉鎖を強いられるような流れのようです。この方針を徹底すると、政府が都市のロックダウン(ロックアウト)をしようがしないにかかわらず、医療機関や非医療機関にかかわらず、活動が停止してしまいます。コロナに対してもインフルに対するのと同じような対処で済ませていないことに疑問のないほどの根拠なり妥当性があるのだろうかという自問を各自がしてみてはどうだろうかと思うのです。

 常々科学的なことを中心に自説を発信しておられる武田邦彦博士は拝聴すべきところが多く、僕も勉強させてもらうところが大変多いのですが、時にご意見が度を超しておられると思うことがあります。余談ですが、最初にそれに気づいたのは、STAP細胞についてのご意見です。武田さんは理研の体制側が悪で小保方さんは善のようなそれこそ二律背反的なご意見のようで、いかにも「STAP細胞はある」らしいです。僕には理研がそもそもおかしかったが、小保方さんについてもどうかなあと思う資料があるのです。加えて、STAP細胞があったという事実があるはずがないではないかという議論の根拠を僕は意味論的に簡単に示すことが出来ると思っています。
 閑話休題。日本医師会会長が「コロナが疑わしい患者さんは(直接)医療機関に来ないでほしい」との発言をしたらしく、これに対して武田さんは非常に腹立たしく思われたようで、つい勢いでか「医師会は金儲け主義者である」というような発言をユーチューブで述べておられました。僕個人は、「ヘルスコラムM」のブログでも医師会や厚労省という体制にしばしば反論を試みており、別に言論上では医師会サポーターではありませんが、このことについては医師会長の発言をフォローしたいと思います(政府に国民生活の制限を加えて感染の拡大を防ぎたいという目的からの医師会長の具体的な提案については必ずしも賛成ではありません)。
 実際問題、一人でもコロナ感染者が通り過ぎたことが判明しただけで、その医療機関は相当期間の業務停止ないし大幅制限を強いられるリスクを負います。自分の営業成績だけでなく、沢山抱えている患者さんに対する日常の医療サービスができなくなってしまいます。
むしろ、僕ならば、インフルに対するのと同じような対応が出来ないのかとまた思ってしまうのです。それならば受診しもらってもよいということになります。ただ、こうなると、確率的に感染の拡散をなにがしか許してしまうという不都合は確かにあります。しかし、インフルではそういう対応で長らくやってきたのです・・・・。いずれにしても、普通の状況の人が風邪をひいたと思ったら、直ぐに医療機関に受診すること自体が妥当ではないと思われることは、前号までのブログで述べています。こういう風潮は医療費の自己負担が驚くほど安い日本くらいでしょう。
インフルの場合に僕が診療所で対応していた状況は、本ブログの「マスク着用についての雑感集」において述べてある通りで、自分が感染を受けるタージェットであるという危機感はあまり持たずに応対していました。この僕の対応の是非についは、今から思いますといろいろ考えられると思いますが、医師はしばしば「自分のことには案外無頓着になっており」そのことが感染の被害を受ける要因の一つかもしれないと、自己反省の余地はあると思います。

僕は、以前のSARS問題が出た時に(一時、日本人に感染者が出たという記事が広まりましたが、現時点では日本人には感染者がいなかったという結論らしい)、患者さんや市民の人たちに読んでもらうための掲示用パンフレットが医師会から配布されて来ました。これを読んだ時に、医師会や厚労省(指導していたはずだから)は失礼ながら「馬鹿じゃないか」と思ったのです。そして、掲示しませんでした。このことはどこかで書きたかったのですが、ここで書く場ができました。
その内容は「SARSを疑われた人は、予め電話をしてから受診してください」というものだったと記憶しています。つまり、「受診してください」と書いてあったのです。僕は、この時に「こんな人が来て、やはりSARSが怪しいとしてどこかの特定の医療機関に紹介した場合を想像すると、「SARSではなかった」というお墨付きが届くまでは、外来を閉鎖しなければならないリスクを負うことが考えられると思ったのです。受診をされたというだけでアウトということです。この時も、その前提として「感染者の訪問した所はシャットダウン」を求められることがマスコミの突っ込みなどから想像できたからです。
僕は、そのパンフを掲示しなかっただけでしたが、他の医師会員が医師会に不都合さをクレームしたのだと思います。その後、しばらくして違う文面に変わっていました。それは、指定された医療機関か保健所に電話をするようになっていたと思います。
そもそもSARSというのは、「急性の重篤な呼吸障害を引き起こす病気」というとんでもなく恐ろしい名称の略語なのです。新型コロナの名称の比ではありません。この時に思ったことは、厚労省も医師会も真面目に頭を捻って考えてくれていることは信じているものの、実際に自分が現場で働いていたらどういうことになるのかというシミュレーション(思考実験)が全然なされていないということを残念に思ったのです。こういう事例は枚挙に暇はありません。
 余談ですが、その最たるものは、「身体拘束をゼロにしよう」という厚労省指導のメッセージないしパンフレットです。10年前くらいだったと記憶していますが、有床診療所をやっていた時の僕はこれを捨てました。そして「悪い身体拘束をなくそう」というのを掲げました。そして、これに関する院内勉強会を開いて、診療所の院長としての僕の考え方について職員に説明しました。しかし、この「身体拘束をゼロにしよう」という指導~標語は厚労省の方針として、最近でもアクティブだと思います。もし、本気で「身体拘束をゼロ」にしようとすれば、世話をする人員が数倍以上必要となってしまうだけでなく、病院は事故だらけになってしまいます。つまり、逆を言うと、そのスローガンは、実は、誰も本気ではないのです。「きれいごと」を言って、格好をつけているだけなのです。左巻きのマスコミはまさにこうなのです。





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