2021年6月8日火曜日

現状のコロナPCR検査結果で判ること(「公的な」ネット公開資料による)

この1年余のコロナPCR検査体制の総括=不適切さは単純明快だ (その3)

現状のコロナPCR検査結果で判ること(「公的な」ネット公開資料による)


 検査データーの読み方のイロハ(感度・特異度・陽性的中率・陰性的中率)

 前回の投稿での初めの部分で述べたことを、ここで、もう一度確認してみようと思う。それによって、次節からの議論を判りやすくしたいと思う。現在のコロナPCR検査における精度・信頼性の問題は、純粋に算数的な因子に整理還元することができる。つまり、基本的には、①感度と②特異度という2つの因子に依存しており、さらには、③被検者集団の真の(現実の)陽性者率の多寡にも少なからず影響を受けている。つまり、3つの因子で計算の上で明らかになる。


PCR検査の陽性者率(陽性者数 検査実施者数)を明示しているデータ

 一般新聞やテレビ報道においては、この(陽性者数 検査実施者数)、つまり「陽性者率」というデーターを一切報道していない。そして、PCR検査の陽性者数だけをセンセーショナルにアジテートして、日本を集団ヒステリーに導いているように僕には思われる。しかも、PCR陽性を感染陽性と同義に扱っているという誤りもおかしている。

 新聞やテレビしか見ていない人は自分がいかに洗脳されているのかを考えたほうがよいと思う。ネット情報は非常に玉石混合であることは疑いがなく、特に若い人々には偏った考えにならないか僕は心配するところもある。ただ、多くのデーターを自分で吟味して取捨選択できるという利点がある(ただ、最近では、YTやFBやツイッターなどで運営側による検閲と削除という大手マスコミと似たり寄ったりの行状が知られるようになっているが、それでも大手マスコミよりはましだ)。僕の世代の前後の多数の高齢者は新聞とテレビからだけの情報しか得ていないので、こちらの方の不都合が大き過ぎると思われる。しかも、こういうポピュレーションの選挙投票率が高いという「問題」がある。

 厚労省・東京都・NHK・日本経済新聞(日経)の4つのホームぺージだけについてみてみたが、いずれも経時的な種々のPCR検査に関するデーターや重症者数や死亡者数のデーターを示していることを遅まきながら知った。このうち、陽性者率(陽性者数/検査実施者数)を個別データーとして経時的に示しているのは、厚労省と東京都の公的なものだけのようだ。この二つともその数値は、時期により多少の変動はあるにせよ、ほぼ常に5%前後らしい。日経データーにおいてもそれは3~5%くらいで変動しているようだ。NHKのデーターは、直接データーは見当たらなかったし、間接にもよく判らなかった。この観点に関心がないのか、敢えて示したくないのかどちらなのだろうと思った。

 PCR検査の精度が、感度70%・特異度99%の程度だとされていることを前提に、再度、ここで実態を計算してみた(2つ前の「この1年余のコロナPCR検査体制の総括=不適切さは単純明快だ(その1)」参照)。

 検査結果としての凡そ陽性者率が5%ということからの取っ掛かりとして、 

 想定上の陽性者率が5%の集団にこの検査をおこなった場合(1万人対象で): 

 本当の陽性者500人・本当の陰性者9500人のはずだ。

 そうすると、検査上の結果は、感度と特異度に基づく簡単な計算により、

     真陽性350人・偽陰性150人

     真陰性9405人・偽陽性95人

 よって、検査上の陽性者率は350+95/10000=約4~5%

     (なお、陽性的中率=350/95+350=79%

         陽性非的中率95/95+350=21%)

 なお、想定上の陽性率をそれぞれ、0・2.5・5・7.5・10・100%

の各値でこの計算を行ったところ、いずれの場合でも検査上の陽性者率計算値とは大きい差はなく、方眼紙でプロットしたところ直線関係にあった。なお、想定上の陽性者率が3.5%の時に両者は一致した。そして、想定上の陽性者率がそれより低い領域では検査上の陽性者率がやや高目になり、高い領域ではやや低目になる。

 すなわち、検査結果から出てきた陽性者率は、その集団全体のの想定上(実際)の陽性者率とほぼ一致するという算数的な構造に落ち着くことになる。ちなみに、集団における想定上の陽性率がゼロ%と百%という極端な場合でも、検査上の結果から得られた陽性率はそれぞれ1%と70%という、それほどかけ離れた値にはならない(繰り返すが、この数値自体は、感度70%・特異度99%の場合のものだ)。

 実際の陽性者率が僅かな集団を検査すると、とんでもない値の陽性非的中率(陽性結果の中の偽陽性の比率)が増えてくるということは既に強調してきたところだ。ところが、ここで議論したことから判ることは、それにもかかわらず、集団全体の実際の陽性者率は検査結果の全体の陽性率とほぼ同じということで、重要な参考になりうるということだ。この二つの数値はお互いに矛盾するものではなく、同居している。

 その陽性者率の値は約5%(20人に1人)であるのが現在までのかなり長い期間における日本の状況であるということだ。もちろん、完全なアットランダム集団に検査を行ったのではなくて、いわゆるクラスター集団やハイリスク状況と思われている集団の場合が多いと思われるが、そうでもない集団もかなり含まれていることも事実だろう。ともかく、厚労省のデーターによると、既に1千5百万人に迫る検査数(同一人に複数回の検査機会が含まれているとはいえ)が登録されおり、それに基づくデーターの全体の状況が5%(20人に1人)に近い陽性率となっているということだから、大凡はそういうことになる。

 いずれにしても、日本国内においては、もう長期にわたって陽性率がほぼ5%で安定しているということは、「この新型コロナウイルスは基本的には全国に拡散してしまったのである」と解釈すべき余地が十分にあると思われる。しかも、死亡者数は冷静に考えるとかなり少ない」のだから、もう生活や生命を強力に圧迫して人々を不幸にする社会規制を止めるべきであることを政府は真剣に考える必要がある。マスコミと無責任野党とそれらの勢力が便利に使う世間知らずのあるいは社会全体のことを考える能力のない医学研究者にどう対処するかは難しいことだと思われるが、政府は責任を果たしてほしい。

 いずれ、議論する予定だが、どれほどの効果があるか判らないコロナワクチンを、泡を食ったような状況でしまくる必要性があるようには僕には思えない。既に、このようにウイルスが日本の国内に広まっていて、知らない間にこのウイルスに触れているポピュレーションはかなりあるのではないかと思われたからでもある。ワクチン集団接種の会場を強引に確保するために、他の社会インフラに用いるべき大量の施設を流用することが決められていきつつあるが、コロナ以外の生活をここまで無視すべきなのか? 特に、医学関係者には思い上がりを自分で戒めて、広い視野を持っていただきたいと思う。医療というものは確かに非常に重要であるが、多くの人間社会の中の一つの部門・領域に過ぎないという面も考えないといけないと思う。「非常事態」なら話は別だが、どこが「非常事態」なのだ。悪い意味でのポピュリズムではないか。

 飛行機や船での入国者におけるPCR検査陽性率は驚くデーターだった

 厚労省のネット資料には「空港、海港検疫」と「チャーター便帰国者事例」との2つデーターも大変判りやすく発表されている。前者のPCR検査陽性者率は、2988/712411で、1%未満(0.2%)だったし、後者のそれは、15/829で、2%だった。この号を含む最近の3つのブログにおいて行った簡単な計算結果から理解できるように、「空港、海港検疫」の70万人超の検査対象者においては真の陽性者は実質ほぼゼロだったということだ(算数上=集団を扱う科学上、検査陽性者総数の2988人は特異度99%に規定される偽陽性者と計算される数の7124人よりも少ない)。このことから、この検査の特異度は、実は、99%よりも多少は優秀なのだろうと思われるが・・・・・。そして、「チャーター便帰国者事例」の829人の検査対象者の検査陽性者については、この陽性率2%のうちの約半数は偽陽性であったことを示している(検査の特異度99%からの計算上では、偽陽性者は1%を占めているから)。この事実を認識した上で、当局は対応をすることが望まれる。最も大事なことは、海外からの入国者や帰国者におけるPCR検査陽性率は国内生活者に比較して大変少なかったという事実を国民に知らせるべきだ。ここでは、海外からの変異株のことは議論できないが、日本において現実の脅威になるという確定的な証拠はないのである(いずれにしても、ゼロリスク目標などととんでもないことを言い出したら話は別であるが)。

 僕はオリンピック第一主義者ではないが、強力な西欧勢力が五輪を開催せよという意向なのだから(日本政府も「国益」のために開催したいと思っているのだろうが、世界を支配している西欧の勢力が開催反対なら開催は無理だ)、国家としての日本はよほどのことがない限り開催に進むしかないだろうと思う。そこに大いに怪しい国際上の金銭の悪徳がからんでいるとしてもだ(からんでいるからこそかもしれない)。世界の政治力学に無頓着や無知でなければ、そういうことになる。それが嫌なら、独立国家として自立できる国の体制を整えなければならない(特に、節度あるが一定レベル以上の軍事・諜報機能だ。いや、むしろそれよりも、GHQによる被統治国憲法の是正が本筋だ)。しかるに、左巻きのマスコミと野党に対峙できない日本の政府はこのことを進めることが戦後ほとんどできないでいる。

 それもそうだが、五輪に人生をかけてきた少なくない数のアスリートのことを思うと、開催させてあげたいと僕は思う。例えば、研究者の方がアスリートよりも立派なんて誰も言えないはずだ。素晴らしいプレーによって多くの人たちが感銘を受けることができる。スポーツで頑張る人たちも僕は応援したいと思う。その代わり、アスリートはあまり偉そうな発言をしない方がよいと思う(誰かがそうしているということを言っているのではないが、念のために)。税金まがいの国家などからの援助を沢山受けているのだから。

 PCR検査陽性者と感染者と重症者との関係

 この内容については1年前からの本ブログにおいて既に述べており、この1年間でその議論の訂正の必要はほとんどなかったと自覚している。次のブログで、自分としての確認をしてみたい。