2020年3月1日日曜日

マスク着用についての雑感集

 僕は、以前、ブログ「ヘルスコラムM」(#24.2003.4)で、マスクなどに関する記事を書きました(マスクや手洗いの意義は場合によると思います)。
今般の、新型コロナウイルス感染症という社会現象に遭遇して、1週間前にブログ「日出づる国考M」に「今回の新型コロナウイルス感染症についての考え方」と「日本の新型ウイルス感染症対応の拙さの「戦後日本の構造的必然性」」の記事を書きました。その流れで、このブログにマスク着用・うがい・手洗いにつての意味論的雑感とでもいうようなことを順次書き足しておこうと思いました。

 (前置き)
 僕は自分自身の衛生のことにそれほど神経質ではありません。こういうことを書くと「医師であるのにどうも怪しい」と思われるかもしれません。そこで、先ず「このことで他人や患者に迷惑を掛けたことは多分ない」と思います、という言い訳をしておきます。
 僕は、4歳の時に近くの療養生活をしている小父さんの家を何度か訪れている間に肺結核をうつされて(僕の両親はそういうことを知らなかった)、両側の上肺野に病変が生じました。直ちに療養生活を強いられ、高校生までは体育禁止を指示されたので、思春期頃までの人生が惨めなものになってしまいました。僕が発病して間もなくその小父さんが亡くなって、結核にかかっていたことを周囲に隠していたことが判ったのです。しかし、戦後の混乱期だったこともあり、自分の家も文句を言うような感じの家ではなかったので、運が悪かったことで終わっています。僕も時代が時代なので仕方がなかったと思っています。
 医学部を卒業して基礎免疫の研究と並行して肺外科の研修を開始しました。臨床医としては、呼吸器外科の医師であり、その後は一般開業医として活動しました。こうしたバックグラウンドですが、自分の衛生のことは「一般常識」以上のものではありません。必要以上に神経質になることは意味がないと感じていたからです。
 呼吸器外科手術は足掛け23年しました。それには手術前の「帽子とマスクの着用」「手洗い」「無菌的術衣着用」と「無菌的作法」ということが要求されます。この期間に、術野感染の合併症が生じたことは幸いありませんでした。
 後半、有床診療所の一般開業医になってからも呼吸器科・循環器科・アレルギー科を主に標榜していましたが、この25年間の間には、外来や病棟での集団感染は幸いにも起こりませんでした。

(マスク1)戸外ではマスクは不要だと思う
 開業医になってから産業医の講習を受けて現在も産業医の資格を持っています。この講義の中に「煙草」の話題がありました。「職場環境の改善」という観点が主でした。今でこそ「禁煙対策」が基本であるように進化しましたが、二十年前はまだ「分煙対策」が主流でした。この領域には産業医大の大和 浩先生という第一人者がおられて、僕は彼の講義を3~4回聴きました。講義の中で、煙草の呼気が部屋の中でどういう拡散をするのかについて、呼気の録画映像を示されました。そうすると、広い部屋の片隅からの呼気であっても、それが部屋中に広がっていく映像を見ました。特に、咳をした時にはアッという間に拡散しました。その実験から、どういう分煙対策がよいのかを考えて実行するという話でした。
 これを感染症の話に適用すると、部屋の中や狭い建物の中では、インフルエンザなどは直ぐに他人にうつってしまうように思われました(広さにもよるし、咳の有無にもよる)。
 昨年だったか、「加熱式タバコ」の呼気がどういう拡散をしているかがよく判る映像をTV番組で見ました。米国のさる街角である若者が吸って歩いている映像でした。この番組のテーマは正確には忘れましたが、僕にはその映像が非常に役立ちました。呼気を吐いた途端にびっくりする程の多量の呼気気流が出てくるのでしたが、1秒もするかしないかの間に、拡散希釈して周囲に消えていくのです。完全に無風でもかなりはそういう感じだろうし、僅かでも風があればアッという間に希釈されて消えていくということが判りました。本人に「タバコの煙を吐く」という意識があるから、普通の呼気よりは勢いも強いことではあるでしょう。
 僕は戸外ではインフルエンザに感染する可能性は「ほぼゼロ」だと思っていたのですが、この映像を見てこの考えを強くしました。なお、人生や臨床においては「ゼロ」とか「絶対」とかという観点で考えることは、人生観としても正しいことではありません。せいぜい「かなりの確率で」という観点での話です。それでしかないのです。生活全般や人生とはそういうものでしょう。その人生の不確定さにおける不安や感謝というところに、古くからの日本人には「お天道さま」という概念があるように思うのです。

 上述の「ヘルスコラムM」で知らせたいと思ったことは、ウイルスも細菌も数匹や数十匹くらい体内に入っても感染という事態にはならないが(発病にもならない)、多数入ってくると感染や発病になりやすいということです。この境界的な数はある程度はウイルスの種類などの側によるでしょうし、人間の側の体調や状況にもよるのでしょう。このことを考え合わせると、流行期であっても戸外でウイルスに感染するリスクは一応考えなくてもよいと思った方がよいだろうということです。物事はゼロか百ではないのですが。

 (マスク2)人前でマスクをする人が多くなったことの違和感
 今、たまたま新型ウイルス感染が大きい社会問題になっていますが、表記のことは、この時期での感想ではなく、この数年の日常における感想の話です。
 僕自身は、以前から街中でマスクをして歩く人々がかなり多いことに違和感を感じています。上述のように戸外では感染防止の目的でマスクをかける意味はあまりないと思っていたからでもあります。アレルギーや感冒で咽喉が荒れているとか、咳が多くてマナーのためとか、花粉よけの意味では有意義だと思われますが、それ以外ではしない方がよいと思います。そもそもマスクが普通というような生活は人間らしい生活ではないし、身体的にも精神的にも抵抗力の弱い人間になるのがおちだと思われます。
 特に、受付や店員のような立場の人が平気でマスクをすることはマナーにもとると思います。病気などの場合は仕方がないにせよ、「失礼なことである」という気持ちがどこかに現れていなければならないと思います。
 今日観たユーチューブにイタリア在住の若い女性からの投稿がありました。やはり、欧州一般では日常マスクなどしている人がほとんどいないので、街中でマスクをして歩くことが、この段になっても難しいということです。この段というのは、数日前からイタリアの国における新型ウイルス感染症の拡大のリスクが出てきたので、何らかの対処が国として必要になってきているということです。もともと街中でマスクをしている人が珍しいので、今、この時期にマスクをして歩くと、「この人はヤバイ」という印象を与えるのです。しかも、自分のような東洋人種がマスクをして街中を歩くと「とんでもなくヤバイ」とされる可能性があり、マスクをし難いとのことでした。
 とにかく、西欧で平時にマスクをしている人は「その人が感染しているのだろう」と認定される程に、誰もマスクをしていないということです。
 日本に旅行に来た西欧人は東京の町を歩く日本人の少なくない人々がマスクをしていることに違和感を感じたり、「日本人は物凄く清潔好きだ」と感じたりするという書き込みがユーチュブでよく見かけます。
 普段からマスク着用が多いのは、ほぼ日本人に限られるようでもあるし、平時にはあまり意味もないので、こういう風俗のようなものは止めた方がよいと僕は思います。花粉症の季節に該当する人々がマスを着用することはお勧めですが、そういう体質でもない人々までがマスクをしているのではないかと疑うほどのマスク着用者の頻度に思えるのです。西欧人には花粉症が少なすぎるのかな? 西欧人の場合には、花粉症に対するマスク指導が疎かすぎるのか?

 (マスク3)マスクの種類についてなど
 マスクはもともと、家庭用、医療用、産業用があります。医療用マスクによく用いられていた不織布は粒子捕集性や通気性に優れて使い捨てといろいろ便利のために、最近の家庭用のマスクも以前のようなガーゼベースのものから9割が不織布ベースのものにかわってきているようです。
 化学工場その他の産業用の防塵マスクや防化学物質マスクにつては産業医や健康管理責任者の指定するマスクを用いなければなりませんので、これは別格です。
 家庭用のマスクの種類や着用の仕方に細かい留意点を挙げているアドバイスをよく見掛けますが、神経質になり過ぎない方がよいと僕は思います。
 ウイルス感染を考えると、目の前の感染者からの呼気の気流が直接入ってくる場合や、感染者の咳嗽の際に喀痰や唾液や鼻水に伴って入ってくる場合は、大変感染リスクが高いと思わなくてはなりません。前者については「あまり相手と距離を密着し過ぎないこと」であり、後者については「たとえ薄めの布でも防御効果はあるだろう」ということだと僕は思います。戸外だけでなく、室内でも通常の呼気気流は直ぐにそれなりに拡散希釈されるので、呼出気流がそのまま自分の口や鼻の中に流入してくることは少し距離が離れておればあまりないと思われます。「マスクと頬との隙間を気を付けましょう」は本当に意味があるのかなと疑っております。
 リスクのある室内では、頻繁に窓の開閉をして内気と外気とを入れ替えることが大変重要だと思われます。直接に感染の気流を吸入しなくても、その室内のウイルス濃度が次第に濃くなっていく可能性があるので、空気の入れ替えが実際的には意味があると思われるからです。

 (マスク4)マスクの先買いや買い占めについて
 買い占めして高値で売り抜けようという人の場合は、ここでコメントするものではありません。ガメツイ人がいるのだなあと思うしかないですが、高価になった品物を皆が買わなかったらそういう人は損をしますので、是非買わないでほしいと思います。
 必要な時に商品がなくなって困ることを避けようとして買う人についてをどう評価するかです。そもそも、県内に感染症が出た場合でも普通生活でよいのです。集会への参加や医療機関をなるだけ訪れないようにしたらよいだけでしょう。仕方がなく訪れる場合には、室内・施設内だけでマスクをすればよいと思います。
 まだ感染症の発生のない県ではマスクなど要らないと思います。多過ぎる枚数を先買いする人は、他人に対する思いやりのない人でであり、その前に愚かな人であるということを他人に示していることであり、恥ずかしいことと思っていただきたい。
 しかし、商品がなくなっても心配はないのです。適当な布を用いてミシンなどで自家製のマスクを作れば済むことです。その場合は、「使い捨て」にしないで、立派な自分のファッションのマスクでも作って、それを再利用すれば、面白いし、一人5枚以内でも十分かもしれません。再生には熱湯を通したらよろしいのだと思います。
 実際に、自分の地域で当該感染症が流行り出した時に心配な人はどうすればよいか? マスクをポケットに数枚ほど入れて外出し、戸外では用いないで、狭い建物や室内に入ると着用する。その際には、小さいビニール袋もポケットに入れておくとよい。室内から出てマスクを外すときには、マスクの外側をどこにも触れずにビニール袋に入れておく。室内と戸外とを繰り返す場合は着用のままということになるのだろうか。ビニール袋に入れたものは使い捨てならばそのまま捨てるし、再利用ならば帰宅して熱湯に通せばよい。こういう「本気度」のある予めのシミュレーションの方が実際には重要だと思います。

 (マスク5)私の妻は実際に従業員用のマスクを作成依頼した
 僕の妻は高齢者専用住宅の経営者です。数日前に洋服の仕立て業の友人にマスク作成を依頼したとのことです。従業員に配布するためです。種々のデザインの布を用いたマスクを依頼したということですが、これについては僕の考えとは無関係で、行動力のある彼女が自主的に作ろうと思ったということでした。再利用のマスクです。来週早々に配布できることになっています。

 (マスク6)診療時のマスク着用について ①
 僕自身は、自分が感冒に罹患して症状が出ている時以外に診察時にマスクをしたことはありません。まあ、邪魔くさいからです。そもそも、患者・医者が双方で顔を見ながらコミュニケーションをすることが非常に重要だとも思うのです。僕は滅多に風邪を引かなかったので、実際には一般診療中にマスクしたことは滅多にありません。
 特に、25年間の開業医生活では1回もインフルエンザにかかりませんでした。毎年、予防接種は職員全員が行っていました。職員は40名ほどおりましたが、院長の僕がマスクをしないので、ナースなどもあまりマスクをしていませんでした。職員はたまにインフルエンザに罹患しましたが、僕はかからなかったのです。患者にインフルエンザ検査陽性と出ても、こちらがマスクをすることはありませんでした。これは事実をそのまま書いているだけで、医師はマスクをしなくて良いと言っているのではありません。僕も、もしインフルエンザにかかっていたら、その後は用心してマスクを用いたのかもしれません。もちろん、医療関係者からの感染があってはならないことは心得ていたつもりです。毎年、それなりのインフルエンザウイルスが閾値以下の数で僕の口腔内や鼻腔に入ってきたので、免疫が強化され続けたのかもしれないと思うこともあります。
 なお、僕のような呼吸循環に関心を持って診察させてもらっている医師にとって、最も重要なことは体重の変動・顔貌の所見・下腿の所見だと自分なりに思うようになりました。脈拍・血圧や心肺の聴診はもちろん重要ですが、しばしば上記3項目の方が実際上で重要だと思うことが多いのです。つまり、患者の方がマスクをしていると、診察のイロハのイが疎かになるのです。しかも、患者も医者もマスクをしながら会話するというのはお互いに失礼だと僕は思うのです。しかし、僕のような意見の人間でも、やってきた患者さんが初めからマスクを着用している場合に「外してください」というのは言い難くて、そのままのことが増えてきていました。こちらは多少ストレスでしたが。
 理由がそれぞれあってマスクをしておく場合でも、診察の最初の時だけでもマスクを一寸外し合ってお互いの挨拶から始めたいと僕は思うのです。あるいは「マスクで失礼します」とか。

 (マスク7)診療時のマスク着用について ②
 ところが、インフルエンザ流行期に医療機関を受診する場合には、やはり医療機関にいる間のほとんどの時間にマスクを着用しておくことは正しいことだと思います。僕のようにマスクをしなくてもかからない人も多いのかもしれませんが、自分がどっちなのかが(かかりやすいかそうでないのか)判らない以上、マスクをしておこうとなるのは自然のことだと僕も思います。
 僕は、それよりも「風邪」にかかったからといって受診するのが不適切だと思います。この文脈から言えば、わざわざ流行風邪にかかるために受診しに行くようなものだからです。こういう風潮は他国に比べると医療費がタダのように安価い日本に多いのです。日本人は受診し過ぎるのです。要するに、発熱や咽喉痛や頭痛があり、それが風邪のようだったら(医者の方でも、最初は風邪と思うことからことを始めるのです。現実的にはそれしかないじゃないですか)、手持ちの普通の消炎鎮痛解熱剤(NSAID)の1種類の薬で全部対応できるのです。薬局で買って在庫にしておけばよろしいです。
 「風邪に安易にこういう薬を使わない方がよい」という意見の医者が多いことは承知していますが、こういう人々は実際の有用性を見ようとせず、教科書を鵜呑みにしていたり生理機序イデオロギーに侵されていると僕は信じています。僕からしますと、その考えは本当の機序の実際にもたらす「程度」という因子を理解できていないと思うのです。米国などは医療費も高いので、各自こういう薬剤をドラッグストアで買って自分で確保しております。僕は自分が医者であるメリットを生かして、自宅に対症薬と抗生物質の臨時薬の在庫をある程度持っています。症状が出たら遅延なく対症薬を服用することにしています。使用するのなら早目の使用がより有効であるからです。
 (参考)「ヘルスコラムM」
 僕は、政治だけでなく医学医療においても一般生活面においても「似非知識人」的考え方が跋扈していると思います。前世紀の後半から今世紀にかけての日本はそういう特徴の文化にはまり込んでしまったと僕には思えるのです。こういう点について、今後も書いていきたいと思います。そもそも「ヘルスコラムM」という健康・医療に関するブログもそういう観点から書いてきました。➞2021年2月にこれらをまとめて、「ドクターMのヘルスコラム」という単行本を発行しました。ネット本として発行の後で流通本としても発行しました。

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