2020年3月8日日曜日

ウイルス診断キットについての雑感集 ①

ネット情報による僕の考え方の整理
 
 先に、「新型コロナウイルス(新型風邪)に対する迅速診断キットは政府が資金援助をすれば、企業が短時間に開発するはずだ」という意見を書きました(本ブログ(#15)手洗いについての雑感集)。この意見はそうだと思うのですが、実際に、3月5日の新聞記事に「島津製作所が短時間で判る感染診断キットの提供を開発中で、3月中を目処に月間5万件以上を目指している」というのがありました。なお、3月6日の新聞記事にはワクチン開発も今秋の臨床試験を目指す動きが既に始まっているというのがありました。自力でも日本の民間は早急に開発できるようです。
 しかし、「どんどん検査した方がよい」という主張では決してないということを強調しておく必要があると思い、このブログを書き足しました。この件については、ネットの情報を参考にしたところ、自分の考えの整理が出来たように思います。

 ●3月3日のユーチューブ(海外の反応:日本人 久住医師「検査するだけでは意味が無い」「特別な治療法はありません」: https://www.youtube.com/watch?v=3f0wlNhppwM)を見ました。これはフジテレビでアナウンサーの質問に応じた発言をネットに載せて、これを見た韓国からと日本からのネット書き込みを並べた内容でした。この多数の「書き込み」には巷間のありうる意見がほぼ出尽くしていて参考になりましたが、現実を理解できていない意見と理解が進んでいる意見が含まれていると思いました。その書き込みのことよりも、久住医師の表記の短い意見が現実的には妥当なものだと僕は思いました。
 この時期に発熱や風邪症状が出だしたら、直ぐに検査などせずに先ずは数日の自宅待機をするのがよいと思われます。症状がしんどかったら、僕は対症薬を買って服用することを勧めるものです。確率的にはほとんどは新型風邪ではないはずだからです。長引いたら、電話を利用して次の対応の相談をすることになるのでしょうか。僕にも、それから先のことについては、具体的なことを一般論として言うほどのことを知りません。

 ●2月28日のヤフーニュースで在英国際ジャーナリスト・木村正人氏の記事(新型肺炎「日本は感染症と公衆衛生のリテラシーを高めよう」免疫学の大家がPCR論争に苦言: https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200228-00165104/)をその後に偶然見ました。回答者は宮坂昌之阪大教授だったので僕は驚いたのです。彼は大学の同級生で、昨年同窓会で会った後で新著「免疫と「病」の科学」(ブルーバックス)という一般向けの教養書を送ってくれたばかりだったからです。
 このヤフー記事にはPCR検査自体に関わる実際上の詳しい知識、韓国のPCRベンチャー企業の状況、厚労省の体質の問題点など書かれていました。資料が多いので、僕は記事をA4用紙にて8枚のプリントアウトにしてから、熟読しました。大変参考になったという他はなかったのですが、読み手によっては間違った受け取り方をすることもないともいえないという危惧を抱いたので、その部分だけ僕はコメントしておきたいと思います。つまり、無暗に感染診断の検査をしないのが正解であるという積極的な前提が別にあるということです。宮坂先生も、インタビューを受けた趣旨がPCR検査自体のことなので、このことをそれ程は強調しなかったと僕は受け取っていますが、彼は文中において、国民が無暗に検査を受けない方がよいと述べています。

 さて、宮坂先生の記事によりますと、韓国では以前にMARS騒動もあったこともあり、検査関連のベンチャー企業が育っているようで、確かに日本と比べて検査の対応力が桁違いに強いのだそうです。しかし、どうも韓国の社会経済構造の方がイビツのように僕には思われますので、日本の対応力が低過ぎるという非難は当たらないと思います。さらに、国家の方針とは無関係に利益追求の企業が先導して自由に検査を行う路線を誘導することは問題であると僕は思います。検査費が「自費」扱いであってもそうなのです。何故かといいますと、この新型風邪は既に国家や国際的なイッシューになっているからです。実際に韓国では、無症状者にまで自由に検査をし過ぎて、検査陽性者が早い者勝ちで病院のベッドを占拠してしまっていて、医療に支障がみられているという情報があります。必要に応じて国家の方針がなければなりません。
 日本でも言われ始めていますが、これを近い将来に「保険」扱いに格上げするという方針も気を付けた方がよいと僕は思うのです。それは、韓国のような医療への支障の他にも、高価な検査費で一般医療財政が圧迫されるという問題があるからです。
 宮坂先生も日本における現状のインフルエンザ感染検査キットの年間使用数(約2千万件)を参考に試算していますが、新型風邪の当面の検査費は一人1万円という辺りとすると、そのまま計算すると1兆円ということになってしまいます。このことからも自由にするような検査ではありません。
 厚労省の官僚には宮坂先生が具体的に指摘しているような不出来があることは、僕もこのブログで書いている通りで同感ですが、僕の場合は基本的に「国家を守る」という心構えがないことから派生することに根本的な問題があると思っています。僕は、その一方で、中央官僚も知能指数的には優秀な人々なのだから、資料を前にしての潜在的な判断能力は優秀であるはずです。だから、厚労省の方も現在、「無暗に検査をしない方がよい」という判断をしていると期待的に思うのです。新聞記事によると、最近の厚労省関係のコメントでも個人が自由に希望できる検査ではないことを明言していますが、この意見がこうした高度の判断に基づいていることを期待しています。ただ、検査をこなす能力がないという理由でそう言っているだけであるのなら寂しい限りです。
 なお、この英国在住のジャーナリストがこの領域に関しては英国の方が日本より全て優れているとでもいうような考えのように思われるのでありますが、僕はそうは思わないのです。どの国にも良いところと良くないところがあるはずだと思うのであります。木村氏の発言からもうかがえるのですが、西欧社会では良くも悪くもセクショナリズム(専門家意識)が日本より強烈だと思われます。
 とにかく、僕がこういう考えをしていたところに、僕にとって決定的だと思う記事が先に出ていたのを見付けました。

 ●2月26日のユーチューブ(医師解説: 全員にコロナウイルス検査をしても意味が無い理由: https://www.youtube.com/watch?v=cmI_6UGHXRI&t=173s)と
いう記事です。現役医師の「プロポ先生」による記事です。彼が説明されているデーターは「医師国家試験の問題」がたたき台になっています。「これは医者ならば全員当然のように知っていることです」と述べておられますが、僕は、久しぶりにプロポ先生の説明を受けて「ああ、そうだったのか」と思ったのでした。検査における感度や特異度という専門用語があるのですが、いろんな臨床検査についての疫学関連の仕事をしていなければ、こういう用語はもう忘れてしまっている医者は多少はいると僕は思います。
 この国家試験問題の図表を提示しながら説明されています。前提条件は,①1万人の集団があり、実際の感染者は0.1%(10人)、②検査法の感度は90%、③検査法の特異度は80%、ということで、この表を数字で埋めてみようということです。感度とは実際に感染している人に陽性がでる率です。感度90%は偽陰性10%ということです。特異度とは実際には感染していない人に陰性がでる率です。特異度80%は偽陽性20%ということです。感度90%・特異度80%の検査というと普通の領域(腫瘍マーカーなどの非感染性疾患におけるもの)においては非常に優秀な判別検査ということです。100%を期待するのは通常無理なのです。➡そうすると、この1万人の検査の結果で、陽性者は2007人で陰性者は7993人となるのです。本当は10人しかいないはずなのに、検査では2007人が陽性になるのです。ここにおける前提条件は新型風邪の現況とそれ程の乖離がないとすると、絞り込みなしで検査だけするとこういう混乱必死の結末になるのです。➡無症状者や従来からの風邪(と思われる)ような人たちに無暗に検査をすることは「意味が無い」どころか、「社会混乱のもと」なのです。
 以上の理屈は何ら突っ込みどころがない素晴らしいものだけど、本当だろうね?と考え直したくなるほど、ものすごい程度の偽陽性の値だというのが、正直な感想です。「本当かな」。
 そこで、もっと理解できるように、前提条件のうちで実際の感染者が1万人のうちの1%(百人)の場合を計算しました。すると、検査陽性者は2070人で陰性者は7930人でした。本当は百人しかいないはずなのに、検査では2070人が陽性になるのです。次に、実際の感染者が10%(千人)というかなりの高い感染率で試算しますと陽性者は2700人で陰性者は7300人でした。本当は千人しかいないはずなのに、検査では2700人が陽性になるのです。実際の感染者が非常に稀な程、えげつない程の偽陽性が出てしまうのです。
 面白がってというのではありませんが、前提条件が全員非感染者であった場合では、陽性者2000人(全員偽陽性)で陰性者8000人となります。逆に、全員感染者であった場合では、陽性者9000人で陰性者1000人(全員偽陰性)となります。

 つまり、新型風邪には適切な医師が振り分けして必要と認めた症例に対してだけ行うのが正解だと思われるのです。振り返ってみれば、日本での(成り行き上のやり方かもしれませんが)現行の新型風邪への対応が正解に近いのだと思われるのです。
 しかし、僕自身どうも「本当かな」という直観をまだ捨て切れないので、前提条件を1万人の集団があり、実際の感染者は1%(百人)で、②検査法の感度は90%と同じだが、③検査法の特異度は99.9%と非常に優秀な検査として計算し直してみました。そうすると、検査陽性者は100人で、陰性者は9900人となります。数字上ピッタリだったのです。しかし、実は偽陽性10人と偽陰性10人があったので、20人は誤診断となっています。とはいえ、検査特異度が99.9%ともなると、1万人からは20人の誤診断があっただけでした。ことのついでに、実際の感染者を最初のように0.1%(10人)として、同じ感度と特異度でもって計算してみると、検査陽性者は19人で、陰性者は9981人になりました。つまり、実際の感染者は10人なのに検査上では19人が陽性に出たということでした。それでもかなり優秀な結果であったと思います。ただ、集団が2千万人とした場合では(年間のインフルエンザ検査はこのくらい実施している)、実際の感染者は2万人なのに検査上では3万8千人が陽性に出るということです。
 
 結局、この検査自体のことを考えますと、特異度が80%と99.9%では状況が大きく変わることとなります。いずれにせよ、2千万人の多数にこの検査を実施するととんでもない多数の偽陽性者がでてしまうことには変わりはありません。 もちろん感度にも問題がありますが、特異度におけるこの問題の方がより印象的に思われます。最近のPCRの特異度は80%のような低いことではないような印象がありますが、非選択的に多数の検査をすることの不都合さは変わらないのです。
 また、検査陽性のケースの中には、ウイルスの一部の構造しか残っていない場合や、ウイルスが存在しても少数過ぎて感染能力が既に残っていない場合もあると考えられますので、実質上の偽陽性はもっと多いことも考えられるように思います。
 以上のように不明な部分が僕には残っているのですが、それでも、僕は責任ある医師が必要と認めた場合に限りこの検査をするという方針を支持します。その根拠は庶民に任せておくとどんどん不必要なパニック対応になっていくからです。
 
 では、何故現行のインフルエンザ検査の場合には、しばしばフリーアクセスのように自由に実施されている現状でも問題にならないのか?
 その理由は僕には明確のように思われます。既に何度もブログで述べていますように、陽性と出ようが陰性と出ようが、「パニック」にならないからです。これが最大の理由だと思います。民衆の心の切り替えの方が大事なのです。「病は気から」の特殊バージョンです。インフルエンザの検査でも偽陽性や偽陰性はかなりあるはずです。
 他のそれなりの理由は、検査キットがPCR法ではなくて免疫酵素抗体法という簡易検査キットであり、安価であるし普通の診療所でも安全で直ぐに結果が出て熟練検査機関が要らないからです。
 
 なお、ウイルスに対する検査法の種類を写し書きておきます。①ウイルス分離検査、②血清抗体検査、③PCR検査、④免疫酵素抗体法の4種類があります。①と②につきましては、通常の市内の病医院で判るものではありません。そして、この新型風邪についいてのブログで取り上げられているものは③でした。この疾患に対しての④が開発された時点では、インフルエンザと同じような感触で用いることが出来そうですが、「パニック」を伴う社会現象の要因が残っている間は、検査制限をするべきだと思われるのです。

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