2021年9月26日日曜日

科学論文も怪しいところがある(B)大規模統計データーは怪しい点がある

 (その1) 

高血圧の薬とか高コレステロール血症の薬とかの効果判定においては、最近では、大規模(1万人やそれ以上も)の被検者を集めてランダムに投与群と非投与群とに分けて比較するという検定法が用いられています。がんの治療薬においても同じことです。この両群は、互いに他の背景の条件が同等であるという前提です。 そして、理想的には検定する側も当事者にはどちらかが分からないというのがより適切だとされています(ダブルブラインド)。

 しかし、僕が思うには、これは単なる理屈であって、両群の背景が同等であるということは全然定かではないのです。例えば、血圧に関する、あるいは生命全体に関する背景因子が全て解明されているなどというのは、永遠に真実とはかけ離れている可能性があります。専門家がそのように言い張っているだけの形だと思います。人間の生理学的な機能が全部解明されているはずがない。

 同じようなテーマの大規模検定の仕事が、しばしば、あるいは、たまに、異なる結果になるのは、もし、統計学というものに間違いがなければ、個々の検定においての両群の選択に故意ではない不都合があるからというのが一番考えやすいはずだと思います。しかも、これは避けられないことのはずだと思います。とすると、1千万人もの大規模検定であっても、確かではない可能性が残ります。 

 

(その2)

  もし、大規模で真にランダムな検定がなされたと仮定しても、その結果は、その集団に含まれるべき個々の人々の結果の予測にはそのまま適用され難いということです。つまり、こういう仕事は政府機関などの政策にはそれなりに反映される意味がありますが、実地の臨床の場では、個別の背景が大きくものをいってきますから、政府や当該学会のガイドラインの通りには適用できないことが少なくありません。疫学的な話と個々の実地臨床の場とは話が違うことが少なくないということを医療関係者以外の方は知っておく方がよいと僕は思います。

 適切な例かどうか分かりませんが、血圧の高い人に無暗に降圧剤を投与するとかえって具合の悪くなることはあるのです。状態が不良で、そういうことをすると重要な臓器の循環が維持できなくなるということがあります。

 また、それとは全然異なる次元の話ですが、意識のしっかりした人が、「自分は人工的な治療を受けることを拒否したい」と言ったら、この人に対しては自然に任せるのが普通でしょう。

 これらのことは、コロナ対策においても、個人の個別性や主体性の尊重という観点からすれば、考え直してほしいと思うことです。

 

(その3)

 数十年前に読んだ書物で、今探してもその文章の出所が判らないのですが、以下のような深く刻むべき意見がありました。これは、ノーベル経済学賞を受賞した米国の統計学の専門家の言葉だそうです。「何千人も集めてやっと有意差が出てくるような大規模検定検査の結果によっても、目の前の数十名程度や個々の患者さんについての予測はできない」という風なことを言っています。「そうでなければ、何千人もの人数を集めなくても済んだはずだ」と僕は、心の中で解釈していました。臨床家として、常は、当該学会の発行するガイドラインをそれなりに参考にして、重きを置いていますが、その通りに出来ない事例は結構多くあります。しかも、僕は喘息の治療を開業医になってから、かなり経験しましたが、学会のガイドラインが不適切だと思うことは自分としては少なからずありました。

 

(その4)

 以上の議論を現在のコロナ対策に適用すると、以下のようになります。コロナワクチンも、コロナ治療薬も、PCR検査の結果による被検者への強制的ないし説得的な方向付け指導も、少なくとも、その個々の対象者への恩恵があるのか、被害があるのか、どちらともいえないのか、ということに関しては、「誰も」はっきりとは判らないということです。

 分かった風な欺瞞を言うべきではない。ただ、新型コロナが被害の少なくない感染症であるということが問題を複雑にしている要因なのです。つまり、個人における個別性や主体性の尊重と、全体の構成員への潜在的貢献ということが、しばしば、または、場合によっては相反する場合があるということが問題なのでしょう。ただ、自分たちの政策を進めるために、「分かった風なメッセージ」を発することがよくないと思います。特に、尾身会長に文句を言いたいと思います。政府も「本当は判らない点もありますが、政府としては、とりあえずは強い規制をかけようと決めました」というのなら、それはOKです。

 次の投稿で書く予定ですが、スウェーデンのコロナ対策の方針は、大方が誤解しているのとは違って、「集団免疫」を早期に獲得するために制限を緩くしていたことではなかったらしい。単に、「緩い規制で始めてみることが冷静な判断だろうと思う」ということだったらしい。「強い規制が奏功するかどうかが不明である以上は、それが妥当かな」ということだったらしい。僕の最初からの意見と多分同じ判断だと思うところです。

 最後に、日本では、感染者が自然に増えていった方が、1年間全体の国民の全体的な不幸は少なかったかも知れないという可能性は、医学的に見ても、荒唐無稽な話とは全然違うと思います。ワクチンの効果も実は不明だし、PCR検査陽性者の行動を制限してきたにもかかわらず陽性者数のコントロールが出来ないで今日に至っているということが、「事実」なのでしょう。しかも、それでも死亡者数は限定されているという見方も出来ると思います。国民は、この件で、不安を煽るテレビや新聞を見ない方がよろしいとお勧めします。僕は、ずっと、テレビのニュースやニュース解説やワイドショーは見ていません。これらのテレビ番組は特に精神に有害だと思います。ネット情報を(玉石混合であることを知りながら)自分で取捨選択して見ることが妥当なことだとお勧めします。

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