2021年10月8日金曜日

非常時における国家の国民行動への制限法整備には賛成だが、コロナ対策への適用は反対だ。

 今回の自民党総裁選の後で決まった執行部の新しい方針については大変注目されているところです。この中で、非常時において政府が国民の行動などへの強制的介入ができる法的整備をするようであるという情報があります。長期にわたる新型コロナ禍に最中であるので、この法的整備によってコロナ対策における政府の強制力をもっと発揮して、コロナ鎮静をしなければならないという議論をする人々がかなり多いように思われます。僕は、この話は物事が整理されていない議論の典型であると思いますので、一寸書いておきます。

 僕は、別のブログ「日出づる国考M」で既に書いていますが、戦後の日本の状態は、多くのいわゆる西欧先進諸国に比べて、国家内における個人の行動への規制があまりにも緩いということを日本国民は自覚していなさ過ぎだと思っています。例に挙げたのは「成田闘争」という一部の政治活動家によって、東アジアのハブ空港にしようとの国家計画だったものが、遅れに遅れて国家に大損害を与えたことです。こういう政治活動のことを言わないでも、実際のポイントは何かといえば、個人の住居の立ち退きが進まないということです。ダムや道路や空港建設などで国が決めたことが、たった一人の住民の不同意で経費と時間の大きい損害が損じるのにもかかわらず、国が呑気な対応するという問題であります。損害は国民の税金なのだということを政治家が重要視していないことが物事の放置の一因だと思います。なお、僕は最近以後のダム建設は大いに反対する意見を持っていますし、熊本県では球磨川の氾濫対策に上流のダム建設が建設されようとしていることに反対です。しかし、こういう個別の賛成反対ということではなくて、「政府が公式に決めた方針には従うということが当たり前のことである」という話が日本ではおかしなことになっているのを僕は指摘しているのです。政治案件ではない普通の道路の建設でも、本当に1軒の住民の移転反対によって、99%完成していた道路が10年も開通しないような事案もあったように聞いています。しかし、この責任は政府にあると思います。左翼マスコミなどの圧力で、自民党政権はまともな法律を作って来なかったのです。今度の政権では、この問題に手を付けてくれるかという期待が一部にあるのです。

 だから、ロックダウンを政府がしたいと思った時には、すかさずこの権力の行使をスムーズにできるような社会にしようということでもあります。それは、そうなのだと思います。しかし、こんなところに道路を作って良いのか?とか、ここにダムを造ることはこういう問題があるぞ!とか、日本の山の斜面にどんどん太陽光パネルを設置するなどという方針は悪い影響が大き過ぎるのではないか?とか、この状況でロックダウンはマイナスの影響が大き過ぎるのではないか?とか、ワクチン強制は文句なしの良いことなのか?とか、ワクチン証明のない職員は解雇(これは国の問題ではなくて、企業が権力発揮しているのですが)だとかはおかしいのではないか?とかという、個別の妥当性は別にあります。ポピュリズムでなく一般意味論的に証拠的にもロジカル的にもにそのようだということなのかどうか充分議論してもらいたいと思います。しかし、その上で政府が決定したのなら僕も従わなくてはならないと思います。法治国家とはそういうことだと思います。不都合な政権は選挙で落とせばよいのです。そうはいっても、実際は難しすぎますが。

 僕は、国家の国民への強制力に関する法整備においては一般的に賛成であり、個別的に直ぐに賛成したいのは怪しい国の国民が日本の国土を自由に購買することを禁止すること(つまり、日本の不動産会社に規制を掛けることとリンクしている)、真に非常事態の際に、自衛隊などの迅速な行動にいちいち知事の承認や道交法の縛りを受けないようになどのことを思いつく。そして、真に非常事態の感染症において、強制マスクや強制ワクチンは制度上はすることができるいうことです。しかし、このコロナに対しての強制権発動こそは、適用しないでほしいと思います。国が今のコロナワクチンを大いに推奨することには反対しません(個人的には、よく判らない点があると思っています)。しかし、強制措置としては反対です。企業がワクチンを打たない従業員を解雇するなどという(米国の大企業で行われようとしている)風潮は、それこそ、基本的人権の侵害だと思います。そこまでの緊急事態か?という疑問があります。そして、そういう強制措置の有効性も実は「五十歩百歩」であるということを冷静に考えるべきだとも思うのです。




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